キリスト教の夫婦観を採用した明治民法
井田 実際のところ、明治維新でガラッと変わったというよりは、1898(明治31)年に明治民法が公布されるまでは、ファジーな姓のあり方が残っていたわけですよね。
この前、1890年(明治23年) に発行された女性雑誌の記事を見つけたんですが、そこに「どうして既婚女性は夫の姓を名乗らなきゃいけないの? モヤモヤする 」という相談が寄せられていて、「結婚したからといって妻が夫に従属するわけではないのだから、実家(里方)の姓を名乗り続けることこそが、最も妥当。後世に残る書類(公的な文書)にまで、むやみに夫の家の苗字を用いる人がいるのは、いかがなものか」という編集部の回答が書かれていました。
中村 「壬申戸籍」が作られて数年後の1876(明治9)年には「妻は嫁入り後も生家の氏を名乗ること」という太政官指令が出されました。明治政府も当初は、江戸時代以来の「夫婦別姓」を維持していました。あなたの言われた文書は、明治民法によって「夫婦同姓」に変更される前のことだからですね。明治民法による変更は、「夫婦は一体であるべし」というキリスト教の価値観に基づく西洋の影響が大きかったと言われています。
とはいえ、日本でキリスト教の信仰は希薄でしたから、「一体化」の手段として、妻を夫の「家」に入籍し、制度上、生家から切り離すかたちで、妻を夫の「家」の家族としたわけです。さらに、妻を夫の「家」のメンバーとして固定させる意図から、法律婚のみを結婚とみなし、安易に離婚できないようにしました。「配偶者」という表記が生まれたのも、このときです。
「夫婦は一体であるべし」と並んで導入されたキリスト教の価値観は、「女性は男性より劣っている」「だから妻は夫に従うべし」というものでした。
明治民法の起草者の一人、梅謙次郎はフランスで長く学んだ人物で、彼が書いた民法の注釈には、「妻の無能力」(明治民法第14条)の規定は妻を夫の権力に従わせるためだ、とあります。
要するに、夫が家庭内の権力を持つ西洋の「夫権的家父長制」を日本に取り入れたわけですね。「家父長制」は、家族における支配を意味する言葉ですが、「家父長」という地位に基づく「伝統的家父長制」、「父として」子どもを支配する「父権的家父長制」に対し、夫が家庭内の権力を持つのが「夫権的家父長制」です。
キリスト教的価値観は西洋社会に深く根付いており、キリスト教が持つ男女差別の考え方も近代西洋諸国の法制度に色濃く反映されていました。そうした法律が、梅たちが明治民法を作るときに参考にされたのです。
井田 私たち女性は、いつまで「アダムのあばら骨から作られたイブ」でいなければならないんでしょうね。明治民法のせいで、夫婦別姓ができずに今も若い世代が苦しんでいるのかと思うと、本当にひどい法律です。
反対派は理屈だけでは動かない
井田 今、私たちが考えていることのひとつに、海外の法律の下、夫婦別姓で結婚し、その証明書を日本でも有効なものとして活用していく、というプロジェクトがあります。2021年に東京地裁が海外法に基づく婚姻関係も法律婚をした夫婦とみなされるという判決を出しているのですが、戸籍に記載されるには家裁へ申し立てるなどのハードルが存在するんです。
でも、海外で別姓を保ったまま結婚する事例が増えていけば、法律婚として認められているのに戸籍には書かれていないという矛盾が大きくなって、やがて制度の見直しに繋がるのでは、という意見もあります。先生はどう思われますか?
中村 そういう方法もあるかもしれませんが、日本という国では裁判所の判決が出たからといって、それがちゃんと履行されるとは限らないでしょう? やはり立法府への働きかけが基本だと思います。
井田 ロビイングですね。ただ、選択的夫婦別姓に反対している国会議員たちの壁をなかなか突き崩せないんです。彼らの支持層である宗教思想団体には「男女はこうあるべき」「家族はこうあるべき」というイメージが強固です。「氏名を維持する権利の平等を許さないのは、法の下の平等を定めている憲法と矛盾していますよね」と理詰めで問うだけでは、なかなか議論が動きません。
でも、今や家族のかたちは多様で、制度よりも社会の方が先行しています。「男女は陰陽」と言ったり、戸籍を天皇制と結びつけて夫婦別姓に反対したりする議員には、イデオロギーに囚われるのではなく、目の前の困っている人を助けるという政治の原点を思い出してほしいです。その突破口として、この本を国会議員全員に配りたい気持ちでいっぱいですが、反対派の人たちはたぶん読んでくれないでしょうから、私たち一人ひとりが読み、武器として使うことになるのかなと思います。
中村 井田さんが活動していく中で、この本を武器としてどんなふうに使おうと思いますか。
井田 一番役に立つのは、この本で得た知識から相手の考えが読めるというところですね。
陳情していると、本当に突拍子もないことを言ってくる議員がいるんです。あるとき、「女が三歩下がって男に従うのは、俺たち男が前に出て辻斬りから守ってやっているからだ」「守ってもらうには、苗字を夫に合わせるべきだ」と言われたことがありました。
「辻斬り? 今は刀を差して歩いている人もいないのに?」と一瞬、思考停止してしまいましたが、この本を読んでいれば、こういう発言の背景には明治民法の影響があるということがわかるので、相手の議論に巻き取られずにすみます。
「ああ、この人は梅謙次郎の時代から来たのね」と冷静に受け止めて、態勢を立て直すこともできるでしょう。家父長制的家族がいいという価値観を持つのは個人の自由としても、それで選択的夫婦別姓に反対する人たちは日本を明治民法の世界に戻したいと考えているのでしょう。
中村 そんなちゃんとしたこと、考えてないと思いますよ(笑)。
井田 たしかに。考えていないかもしれませんね(笑) 。
でも、どんなに荒唐無稽なことを言われても、「この人、馬鹿じゃないの」という気持ちで接したら、相手の心のシャッターが閉じてしまって交渉できません。反対意見を持つ人の考え方がどこから来ているのか、それはどういう語彙で表せるのかということをロビイングする側が知っておくのは、議論を前に進めていく上でポイントになると思います。
あと、よくあるパターンでは、選択的夫婦別姓の話をすると、傷ついたような顔になる国会議員もいます。
中村 傷つくというのは、どういうこと?
井田 沖縄のある議員さんはメンバーの話を聞いて「自分の妻も改姓したくなかったのかなあ 」と傷ついた表情になりました。夫たる自分が否定されたような気持ちになるんでしょうね。ここは個人の信条に関わる部分でもあり、頭から否定するのは違うかなと思っています。
私、こういうときはあえて「奥様」という言葉を使って、「奥様にとっても、夫婦で同じ苗字というのは、きっと嬉しいことだったかも知れません。ただ、改姓して苦しいと感じる人も、お互いに氏名を尊重したいカップルも、この自治体に確かに存在しているだけです 」と、相手を安心させるようにしています。自他の区別をつけてもらうことが「選択制」のポイントなので。
中村 夫婦別姓の話をされて傷ついてしまう人は、自分と他人の区別がつけられていないのね。そこは、日本人に欠けているところだと思います。
井田 陳情していても、自他の境界が曖昧な人から「自分はこうしているから、お前もそうしろ」と押し付けられることはしょっちゅうです。
だから、まずは「あなたは困っていないかもしれないけれど、私を含めた大勢の人たちが本当に困っている」ということをはっきりさせるようにしています。今は女性も海外に出張したり、駐在員になったりする時代で、仕事で使っている旧姓が外国では認証されないということが起こっています。あるいは、一人っ子同士で、苗字を変えると実家の姓が途絶えてしまう、だから結婚したくでもできないという人もいます。
そんなふうに困っている人が現実にいるという話を膝詰めですると、保守系政党の議員でも「自分の偏見や知識不足だった」と認めてくれることもありますね。
中村 相手の考えを理解した上で歴史的経緯を説明していくと、ちょっと「おや、そうなのか」と思ってもらえる肌感覚があるということですね。














