自由を選び取った結果

私たちはなぜ「選ばない」ことを選ぶようになったのか、という問いは繰り返し考えてきたテーマの一つです。その背景には、選ぶことが持つリスクを避けたいという気持ちがあるように思います。

自分で選んだ結果、もし間違っていたらどうしよう、そうした不安から、あえて人に任せたり、選ばない態度を取ったりする。そんな行動原理を、これまでもたびたび指摘してきました。

では、選び取った結果が本当に間違いだったのではないか、と感じさせる出来事には、どんなものがあるのでしょうか。経済成長の影響を例に挙げてみたいと思います。

経済成長は「集団から個へ」という意識を社会にもたらし、大きな変化を促しました。経済成長が始まるまでは、私たちはひとりで生きるのが難しく、三世代や大家族で助け合いながら暮らすのが当たり前でした。

けれども、大勢で暮らすのは煩わしさもある、と感じ始めた人々は、世代ごとに住まいを分け、より小さな単位で暮らすようになりました。これが核家族化へとつながり、やがて単身世帯の増加へとつながっていきます。

ただ、その行動変容がもたらしたのは、暮らしの自由や快適さだけではありませんでした。結果として、無縁社会や孤独死といった、少人数やひとりで暮らすことに伴う新しい災厄も生まれることになったのです。

私たちは「みんなで暮らす煩わしさから離れ、もっと自分のペースで暮らしたい」と、より小さな単位の家族構成を選ぶようになりました。しかし、これは同時に、いざというときに手を貸してくれる人手が足りなくなる、というリスクをはらんでいたのです。自由を選び取った結果として、かつては自然に他の人が担ってくれていた役割や負担を、自分ひとりで抱え込まざるを得なくなったのです。

こうした思わぬつまずきは、経済成長から生まれた側面があるのかもしれません。経済成長が進む中で、ある程度、豊かさが広く行き渡るようになり、もうみんなで住まなくても、ひとりで暮らせる、と気づいた私たちは、その自由を手にしました。ただ、その裏側には思いがけないリスクも潜んでいました。

公害の問題と同じように、事が起こって初めて、その代償の大きさに気づくことは少なくありません。選ぶにしても、選ばないにしても、その先にどのような結果が待っているのかをあらかじめ想像し、備えておくことは、これからますます大事になっていくでしょう。

今、私たちが疑うべきなのは、この経済成長という考え方そのものではないでしょうか。