選ばない消費と自虐の相関性

選ばない消費を「本当に賢いのだろうか」という懐疑的な視点で見ていきましょう。アプリなどで見られる、ガチャ的な要素においては、失敗を引き受けなくてはなりません。「こんなの来ちゃったよ」はいわば失敗です。

失敗を引き受ける意識が社会で広く認識されるようになったのは「こんなの来ちゃったよ」と楽しめる素地が広がったことが関係しているのではないでしょうか。

こうした意識の変化の背景には、バブル崩壊以降の経済環境があるでしょう。長引く景気の低迷は、それまでの「頑張れば報われる」「成功こそが正解」といった価値観を少しずつ揺るがし、「思い通りにならないこともある」「そういうものだよね」と受け止める、ある種の達観や慎重さが社会全体に広がっていったように思います。

挑戦する気持ちにブレーキをかけるような時代の空気が、どこかで「期待しすぎない」姿勢を作ってきたのかもしれません。

そのような時代に広がってきたのが「自虐」というスタイルです。

2000年代頃から、テレビではお笑い芸人の存在感が増していますが、彼ら・彼女らが定着させたのが「自虐」ではないでしょうか。

典型的なお笑いでは、ボケ役が非常識的なことをして、ツッコミ役が「おかしいだろ」と指摘して、常識に引き戻します。観客はボケのおかしさに気づきながらも、ツッコミによってそれが言語化されることで、笑いが生まれるのです。そしてボケ役の非常識な言動というのは多くの場合、失敗に依拠しています。つまり、自虐です。

今はこのようにボケの力が強いのですが、80年代の漫才ブームの際には、ツッコむ側の論理の方が強かったように思います。たとえばビートたけしさんの笑いには非常識や社会の矛盾に対する強烈なまなざしがありました。

ビートたけしさん 写真/Shutterstock
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不条理やシュールな笑いの中にも「それはおかしいだろ」と糾弾する姿勢があり、非常識を肯定するのではなく、批判的に扱っていたように思います。もちろん自虐的な語りもありましたが、共感を誘うためではなく、非常識を際立たせる手段でした。

しかし、バブル崩壊後、非常識を糾弾する「正しさ」への信頼が揺らぎ、「非常識」や「失敗」そのものが許容されるようになっていきました。それまで「いじけてる」とされてきたような自虐的な語りが、逆に面白がられ、共感を呼ぶようになったのです。

今やテレビやYouTubeでは、自虐を笑いに変えるスタイルが一般的になっています。人気YouTuberに共通しているのは、「うまくいかない自分」や「失敗してみた自分」をうまく見せていることです。完璧なリア充よりも、どこか抜けたところや、少しドジな面を持つ方が親しまれ、支持される傾向が強くなっています。

このようにして、「自虐」や「失敗への寛容さ」が当たり前になってきた社会では、「選ばない消費」につきものの偶然やズレ、外れすらも「あるある」「分かる」と受け入れられるようになっていったのではないかと思うのです。