理容師から不動産オーナーへ 22棟のビルを所有した成功人生

幼い頃から商売人としての感覚を身につけてきた加藤さんの人生は、16歳で高知を離れたことで大きく動き出す。

「最初は、理容師になるために16歳で尼崎に出た。切符を集めだしたのは、この時ぐらいからだよ。

当時、高知から大阪までの切符は1080円だったけど、今なら1枚7000円くらいする。コレクションを始めた原点であり、初めて地元を出て人生を変えるきっかけになった切符なんだ。

今みたいな特急電車じゃなくて普通の機関車だったから朝5時半に地元を出て、大阪に着いたのが夜8時。だけど、盲腸になって2、3か月で、地元に帰っちゃったんだ。それからは、愛媛の一本松というところにいた」

加藤さんが初めて地元を出た時の切符。今もコピーしたものを肌身離さず持っている(撮影/集英社オンライン)
加藤さんが初めて地元を出た時の切符。今もコピーしたものを肌身離さず持っている(撮影/集英社オンライン)

加藤さんが価値を見出したのは、切符だけではなかった。

「一本松の床屋で働いていた時は、隣が郵便局だったから、記念切手が発行されると、だいたい情報が入ってくるんだ。当時、切手は10円とか15円だった。今みたいにブームじゃなかったから、買いやすかった。

そのとき買った切手は、1961年、21歳の年に金が欲しかったから東京で売った。買ってから5年も経っていなかったけど、値上がりがすごかったよ。

いろいろ集めて、まとめて売ったら80万円くらいになった。当時の俺の給料は、月700円だったから、ものすごい金額。それが俺にとって初めての投資みたいなものだった」

加藤さんが収集した切符の一部。6月25日まで販売中(撮影/集英社オンライン)
加藤さんが収集した切符の一部。6月25日まで販売中(撮影/集英社オンライン)

加藤さんは1960年、20歳の時に上京。代々木のワシントンハイツ(在日米軍施設)で理容師としてのキャリアを積み、自身でも理髪店を経営するようになった。

「1970年に、日大病院で床屋を経営するようになって、そこからいろいろな縁ができた。不動産業を始めたのは1973年ごろだね。

バブルのときに一度整理したけど、一番多いときは22軒のビルを持っていて20億円かけたビルもあったよ。一番貸していたころは、俺ひとりが管理しているだけで180店舗あった」

1960年(昭和35年)ワシントンハイツで理容師をする加藤さん(写真/本人提供)
1960年(昭和35年)ワシントンハイツで理容師をする加藤さん(写真/本人提供)