「バカにされるかも」展示を始めた当初の複雑な心境
加藤さんが熊野町レトロを始めた背景には、熊野町交差点の事故の多さがあった。同交差点は2022年、全国の交差点のなかで人身事故件数がワースト1位となった場所でもある。
交通事故を減らすために、なぜ骨董品や昭和レトロな品々を並べることにしたのか。
加藤さんは、その経緯を振り返る。
「はじめは、交通安全祈願のために家にあった像を置いただけ。バカにされるんじゃないかって、恥ずかしい気持ちがあった。
でもだんだん展示品を増やしていくうちに、警察から「熊野町交差点の事故が減っている」と言われるようになった。
展示を見るために訪れる見物客も増えて、やっぱり意義があるんだなと思えた。最終的にどれくらい事故が減ったのか知るのが楽しみ」
加藤さんが並べている品々は、レトロな看板やラジオ、古い生活道具、車両、骨董品など多岐にわたる。
中でも今一番のお気に入りは、加藤さんが「日本で1台しか残ってない」と説明する幻の国産車メーカー「オオタ」の木造小型トラックだ。一部の展示品には、来歴や入手した経緯も記されている。
こうした品々を集め、価値を見極める感覚は、どのように培われたのか。
加藤さんは1940年、高知県宿毛市で5人兄弟の次男として生まれた。元警察官の父は会社に勤め、母は、子どもたちが生まれる前から質屋を営んでいたという。
「幼い頃は、よく母の商売の手伝いをしていた。扱った物が売れなかったら、物々交換のために沖ノ島に行くんだよ。1000円相当の品物だったら、1000円相当の魚と交換して、売り子に売りに行かせるんだ」
小学校高学年になると、自分でも商売をするようになった。
「小学校5〜6年で、夏休み期間中に1本5円でアイスキャンディーを売っていた。利益は2円で、1日150本売れば300円の利益があるんだ。当時の労働者の日当が240円だから、それなりに稼いでたんだよ。
冬になると正月用の飾りなんかも自分で作って、500円のセットで売っていた。小遣いは小遣いでもらうけど、貯めてた。
そういった幼少期の環境は今にも通じてるよ。だから、こんなことやったって失敗しないんだ」














