赤羽台から始まったエレファントカシマシ
1981年に結成されたバンドのエレファントカシマシ(以下エレカシ)は、東京都北区の赤羽台にある中学校の同級生たちで結成された。
ヴォーカルの宮本浩次が加入したのは中学3年の時で、6人編成でディープ・パープルやレインボー、日本のロックではRCサクセションなどのコピーから始まったという。
1986年に現在のメンバーが揃って、CBSソニーの「SDオーディション」に入賞し、メジャーからデビューするチャンスをつかんだ。
そして1988年、エピック・ソニーからデビューアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』をリリース。そこからはプロとして35年以上のキャリアを積んできたベテランである。
しかし、ソニー時代の極めて個性的だったエレカシは、現在の人気や評価に比べると意外に知られていない。
強力な存在感を放つカリスマ的なヴォーカルの宮本浩次と、どこかに線の細さを感じさせる他のメンバーたちのギャップのせいなのか、彼らのライヴには異様ともいえる緊張感が漂っていた。
それはエンターテイメントとは対極のもので、時には無様さをさらけ出すこともいとわず、エレカシはありのままの姿で勝負し続けた。
やがて作品と活動の両方で異端的な存在と見なされるようになり、彼らは孤高のバンドとして音楽シーンの中心から外れていく。
売り上げ不振でソニーとの契約が危うくなった1994年。ボ・ガンボスのDr.kyOnや近藤等則といったゲスト・ミュージシャンを迎え、さらにオーケストラやオーバーダビングなどをも取り入れた意欲作、『東京の空』を発表した。
そして、それを最後にエピック・ソニーとの契約が終了すると、彼らとともにあった所属事務所「双啓舎」もなくなってしまった。
大きな苦難を経験した彼らだが、地道にライヴ活動を続けて歩みを止めることはなかった。ライヴハウスでの活動において、宮本は初めてファンに対する感謝が生まれたという。
新たにFAITH A&R(現・フェイスミュージックエンタテインメント)と契約し、シングル『悲しみの果て/四月の風』を1996年4月に発表してから、エレカシは広く支持を得るようになっていく。
そして反商業主義的であったエピック・ソニー時代には考えられなかったタイアップや、メンバーたちのメディアへの登場によって売り上げを伸ばし、活動の基盤を整えたところで満を持したかのように、1997年7月にシングル『今宵の月のように』で初めてヒット曲をものにしたのだ。














