厳罰化の問題点
2026年4月に導入された自転車への青切符制度によって、自転車に対する罰則が厳しくなった。表面上は交通安全を守るための正しい政策に見えるかもしれない。
過去においては、自転車の悪質な違反を取り締まるためには重い刑事手続きが必要であった。ゆえに、よほど危険な行為でなければ警察が直接的に罰を与えることは少なかった。権力を使うことに対して、一定のブレーキがかかっていたわけである。
しかし、青切符という行政罰が導入された結果、現場の警察官の判断だけで、極めて簡単に反則金を求めることができるようになった。
罰を与えるハードルを下げることは、国家権力が市民の日常的な移動手段に対して、いつでも簡単に口出しできる状態を作り出すことと同じである。
権力は使いやすくなればなるほど、必ず大きくなっていく性質を持っている。生活の隅々にまで警察の監視が行き届く社会は自由な社会とは呼べない。
「いかにして危険を避けるか」はどこへ?
罰則の強化に賛成する人々は次のように主張する。
「元々存在していた交通規則が明示的になり、違反に罰金が伴うようになっただけである。決まりを守ればよいのだから、何も恐れる必要はない」と。
一見すると筋の通った意見に聞こえる。しかし、現実の社会は紙に書かれた規則通りに完璧に動いているわけではない。
規則が明示的になり、罰金が紐付くことで、「規則を守ること」自体が自己目的化してしまう。人々は「いかにして危険を避けるか」ではなく、「いかにして警察官に捕まらないか」「面倒に巻き込まれないか」に意識を集中させるようになる。
一時停止の標識があれば、左右の安全確認よりも先に「足が地面に完全についたか」という形式的な動作ばかりを気にしてしまうこともある。













