安全な道を用意しないまま、市民を追い詰めるのは本末転倒
全国の自転車通行空間の整備延長は4686キロメートルにとどまる。大部分は車道に矢羽根のマークを描いただけの混在型であり、物理的に分離された安全な自転車道はわずか256キロメートル、全体の5.5パーセントにすぎない。
自転車道の整備モデル地区では事故密度が26パーセントも低下したという明確な効果が確認されている。にもかかわらず、安全な道を用意しないまま、市民を追い詰めるのは本末転倒である。
現実の道路環境は絶望的である。例えば、東京の靖国通りから両国橋を渡る道筋において、肝心な場所で自転車用の路面標示がふっと消えてしまう。あるいは、千葉方面から新大橋を渡る際、自転車は手前に歩道方向へ行けと言わんばかりの道路標識があるが、誘導された歩道には自転車に対する標識が見当たらない。結局、自転車で新大橋を渡るにはどこを走ればいいのかがわからない。
道幅が変わり、自動車と一緒に走るべきか、歩道に行くべきか、ひどく迷う場面に直面する。道路の作りが中途半端な状態のまま放置されているのである。お金と時間がかかる道づくりを後回しにし、手軽な罰則強化に逃げているのが現在の姿である。
自転車への青切符の導入は、単なる交通ルールの変更にとどまらない
警察官にとって、走行中の自転車は市民に接触する格好の糸口となる。
無灯火や鍵の不備を理由に自転車を呼び止める。名前を聞き出し、防犯登録を照会し、職務質問から所持品検査へと繋げるための入り口として機能する。
合法的に市民を呼び止め、反則金という形で効率よく処理できる権限の拡大は、警察組織にとって非常に都合の良い果実である。
起訴されれば99.9パーセントが有罪となる刑事司法制度を背景に、数千円から1万円程度の支払いで済ませようとする市民の心理を突いた制度設計である。
母親たちが自転車に子どもを乗せて走る姿に対し、「ルールを守っていない」と冷ややかな視線を向ける。市民の間に存在していた大らかさは失われてしまうのではないか。
死亡事故を減らす目的であれば、罰則よりも先にやるべき対策がある。自転車向けの損害賠償保険への加入を徹底させ、被害者救済を担保することだ。保護者が常に警察の影に怯えながら生活する社会は健全とは言えない。
自転車への青切符の導入は、単なる交通ルールの変更にとどまらない。国家が生活に入り込むハードルを極端に下げ、市民を自立した大人として扱わず、地域社会が築き上げてきた柔軟な秩序を、役所の命令で上書きする試みである。
危険を国家がすべて管理しようとする社会は、一見安全なようで、実際には市民から責任感や現場の知恵を奪い、社会全体を弱くしていく。
私たちは今、便利さや目先の安全と引き換えに、個人の自由や地域社会の自律性という貴重な価値を国家に明け渡そうとしている。罰則で縛り付ける社会は長期的には市民の主体性を奪う。立ち止まって深く考えるべき時が来ている。
文/小倉健一 写真/shutterstock













