『よだれ観覧車』と「テーマ」のむずかしさ
――続いて、『よだれ観覧車』を構成する3作「犬」「赤」「蟬」は、いずれも「語り手・大石恵美」の日常や過去の体験をもとにしたエピソードから始まります。例えば、誰かと関わり合う際に生じる欲求や不安とか、他者の言葉やまなざしと格闘する姿とか。個々の作品の入口こそ現実的で多くの人々に開かれている一方、やがて訪れるイマジネーション豊かな飛躍が、受け手を思いもよらぬところへと連れて行ってくれます。
蓮見 もう一見して、そりゃ獲るよなぁと思いました。ほんとありきたりな感想になっちゃいますけど、言葉選びがユニークで、その一つひとつがオリジナリティに溢れてますよね。
甘味料を使っていないというか、僕は割と使っちゃうんですけど、大石さんが素手で闘ってる感じがする。自分にはまず書けないし、仮に書けたとしても、たったひとりで人前でやる度胸が僕にはない。ただただ純粋に、すげえなって思います。
大石 嬉しいです。もともとの発想としては、観覧車のゴンドラのような感じで、「犬」と「赤」みたいなコミカルな15分くらいの短編が6本ぐらい続く、短編集の形式で上演したいなと思ってたんです。
そのなかのひとつで女性の生理を扱いたくて。生理って重く描かれがちだから、違う形でアプローチしたかったんだけど、いざ書きはじめてみるとどうしても私自身の身体のことや、この社会において女性であるということが無視できなくなってきた。
そこでその生理を扱った話と、別でアイデアとして持ってた話を繫げてみたんです。そしたら「蟬」っていう80分のちょっと歪なものができて。おかげで当初の観覧車の構想はどっかにいっちゃったんですけど、テイストの違う作品同士を繫げることでテーマがよりくっきりと浮き上がってきたなっていう実感もあります。
蓮見 へぇ~。やっぱり、僕とは書き方がまったく違いますね。そういう作品の生まれ方があるんだっていうのがまず驚きですもん。
――「蟬」は生理だけでなく、かつて「ブス」と言われた経験を引き合いに出すことで、ルッキズムにも言及しています。実際に劇場で拝見した身として、その語りから浮かび上がる切実さを観客の多くが自分ごととして受け止めているように感じました。さらにこの展開の先で、マチズモのアイコン的な人物が登場する。誰もが知る存在を介在させることによって、大石さんの個人的な体験や感覚が社会と強固に接続していく印象を持ちました。
大石 女性の身体や生理、ルッキズムを直接的に描くと、フェミニズムの文脈だけで見られて、そこだけが取り上げられて、それだけの作品として語られるかもしれない。それは避けたくて、あまり直接的には描かないようにしてきました。
テーマに縛られて作風が自由でなくなったと感じる作家も見てきたし。なので、自分の作品が特定のイメージに縛られていくのが怖くて、最初は逃げようとしてました。
でもそれらをテーマとして扱う以上、逃げられないと思ったのも事実で。だったらどうそのテーマだけで語られないよう攪乱させられるか突破口を探ってた感じです。














