共存できない社会が問題

──一方で、映像編集のインターンとして働き始めてから状況が変わったそうですね。どんな場面で、評価されるようになったのですか?

たとえば朝10時に出社なら9時50分に行く。それって自分にとっては普通だけど、相手には「え? 早っ!」と驚かれることが多かったです。コピーをとるときも、同じ位置にきっちりホチキスをするだけで褒められましたね(笑)。

あと映像制作の現場はチームなので、誰かが空気を読んでまとめないと現場が動かない。私はそういった役割も得意だったので、ようやく自分の実力を発揮できる場を見つけた感覚がありました。そのとき初めて、日本の教育が自分に与えてくれたものの意味がわかった気がしました。

──日本の小学校教育は、しばしば「画一的」「同調圧力が強い」といった文脈で語られますが、いちばん大きな強みは、どこにあると思いますか。

日本の社会に限らず、人はみな他人と関わらないと生きていけないわけです。運動会をはじめとする各行事はその練習の場になるし、掃除や給食当番は社会の中で役割を果たすための学びになる。

しかも、そういった相手を思いやり、心を張り巡らせる体験は家庭ではなかなか教えられない。子どもの脳(の基礎)が作られる12歳ぐらいまでの間に社会性を身につける日本的な教育を受けることは、子どもにとってすごく良いんじゃないかなって思います。

逆に3歳から欧米の学校やインターナショナルスクールに行っている子は“個”を強める教育をずっと受けているので、「譲る」とか「誰かのために動く」っていう意識がやはり薄いことが多いです。

小学校時代は「お掃除大臣」と呼ばれるほど掃除が得意だった
小学校時代は「お掃除大臣」と呼ばれるほど掃除が得意だった

──もし身近な人に「子どもを育てるにはどんな教育環境がいいと思う?」と聞かれたらどう答えますか。

本当にそれぞれ家庭の考えの違いによっていろんな選択肢がありますけど、自分の息子はやっぱり公立の小学校に通わせたいと思います。

理由は、6歳から12歳という年齢の時期に日本的な教育を受けることからスタートしてベースを作っておけば、そのあと欧米風の個人主義の教育を受けることになっても対応できるからです。この順番が逆になると難しくて、欧米の個人主義を先に身につけた人が日本の制度に合わせるのはすごく大変なんですよね。

例えば、フィンランドのように自己主張を重視する教育を続けてきた国では、今、社会において人々がお互いに尊重し合えないことが問題となっています。それがパンデミックで浮き彫りになりました。フィンランドに限らず、他の欧米の国でも、有事のとき協力し合える社会になるには、どうすればよいのかが課題になっています。

でも日本の場合は、元々お互いに協力し合うというベースがあるから、コロナ禍でもごく当たり前に助け合い、共存し合えた。もちろん、そこにも息苦しさや課題はありますが、この時代だからこそ日本的な共生の“型”は必要です。