「もしキンキンが生きていたら、彼はなんて言うだろう」
うつみさんの話に出てくる愛川さんは、懐深く、優しい。その優しさの根源には、自身の強烈な体験があったからかもしれない。
愛川さんは自伝的小説『泳ぎたくない川』(文春文庫)の中で、複雑な出自と戦争に翻弄されながらも強く生きる少年の姿を描いている。戦争によって日常が変質していくこと、そしてその先にある差別や貧困の問題にも鋭敏だった。
「戦争が何もかもを変えてしまうことを知っている人でした。たとえば、優しかった親戚のおばちゃんが突然変わってしまう。そのしわ寄せは、必ず立場の弱い子どもにいきます。
キンキンは、『戦争放棄を謳っている日本国憲法を変えてはいけない』といつも言っていました。赤い表紙の日本国憲法をいつも抱えていて、表紙がボロボロになるまで読んでいました」
うつみさんは、愛川さんが亡くなった2015年から、子どもの貧困解消を積極的に行う「公益財団法人あすのば」に寄付をしている。寄付は本名で行い、芸能人であることは秘匿した。だがあすのばの方から問い合わせがあり、身元を明かした。せっかくなら、と始めたチャリティーコンサートは、今年で11年目を迎える。
「キンキンが亡くなって失意のなかにいるとき、東京新聞があすのばを紹介している記事を読みました。『ロンパールーム』で子どもたちとともに過ごし、子ども番組からキャリアをスタートさせた人間として、ぜひ協力できることがあればと思ったんです」
うつみさんは「子どもたちが貧困にあえぐ姿を見ていられない」とうつむいた。現在、世界中に戦火が広がりつつある状況をどのように見ているのか。
「戦争は家族をバラバラにします。まず思うのは、父親が戦争に参加せざるを得ず、キンキンのような思いをする子どもが世界に増えてしまうということです。
私の父も戦争へ行かされました。父は帰ってくることができましたが、その弟は亡くなりました。私は、無口でほとんど話したことのない祖父の慟哭を、叔父の戦死のときに初めて聞きました。
人がひとり死ぬことは、それだけ多くの人が悲しみに暮れるということです。そのような愚かなことを2度と繰り返さないために、国のトップに立つ政治家は舵取りをしていく必要があるのではないでしょうか」
うつみさんが日本のこの先を考えるとき、必ず愛川さんに思いを馳せるという。
「もしキンキンが生きていたら、彼はなんて言うだろう。それが、私が物事を考える指針でもあります。いまの社会を見たら、彼はどう感じるでしょうね」
愛川さんを自宅で看取ったうつみさんは、その最期をいまだに覚えている。
「最期の言葉は、私に向かって小さな声で『ありがとう』でした。私にもこの先いつか死が訪れますが、『ありがとう』を言いたい人はたくさんいます。そんな人生を歩めたのは、キンキンと結婚したからだと思っています」
人生はおそらく、出会いがすべて。目まぐるしく変わる世相のなか、2人が交わした「ありがとう」は重く深い。
取材・文/黒島暁生 撮影/杉山慶伍














