過ちを繰り返さないためにこそ歴史がある

話がだいぶ飛ぶようだが、ぼくのなかでは一直線につながった。くだらない権威を毛嫌いし、権力を否定する加藤さんが「有名なほどいい」と断言したのだ。では、なにをためらうことがあろうか。

「じゃ、いとうせいこうさんで行きましょう。彼の小説『想像ラジオ』は、この本と同じ匂いがします。読者に対して〝感じろ〟と求める同じ匂いが」と話したら、加藤さんも『想像ラジオ』を読んでいて、「ぜひ」と言って、こう続けた。

「いとうせいこうさんとコネクションがあるなんて、すごいですね」

ぼくの答えは一言。「え、ないです」だった。

その場に、なんとも言えない空気が流れた。「この人、大丈夫なのか?」という空気感だ。

しかし、いとうせいこうさんの来歴を顧みれば、ぼくや加藤さんのように60年代生まれのカウンターカルチャー世代にとって燦然と輝く「キング」だった。さらに、2011年の東京電力福島第一原発のメルトダウン後、いとうさんは東京・新宿アルタ前での反原発デモにおいて「路上の華」というリリックを発表されている。その現場にいたぼくは、いたく感銘を受けた。だから、本人までたどりつければ真剣に検討してもらえると根拠なく思った。

だが、どうすれば、いとうさんにアクセスできるのか。

悩んでも仕方ない。目の前のパソコンでネット検索して、いとうさんの事務所を確認。そして、代表番号に電話。担当マネージャーの名前を教えてもらい、手紙を書く。投函して待つ。それだけだ。

写真はイメージです (写真/Shutterstock)
写真はイメージです (写真/Shutterstock)

しかし、なぜ「手紙」なのか。

勘だ。直感と言い直してもいい。

メールやファクスではなく自筆の手紙であれば、ご本人の手に渡る可能性が高まるのではないかという勘。そこで、シナダに「いとうせいこうさんが帯コメントを書きたくなるような便箋と封筒を買ってきて」と依頼した。

そして彼女が買ってきてくれた便箋に、自筆で思いをしたためた。「この本は現代にこそ読まれるべきです」「しかしながら、著者はまったくの無名。大学の先生でもありません」「だから、知名度のあるいとうさんのお力添えが必要です」「ところで、どうしていとうさんにお願いするかというと『想像ラジオ』を読んだからです。〝感じろ〟のメッセージが、小説とノンフィクションという垣根を越えて共鳴し合ってると思ったからです」「そして、なにより、わたしも著者も60年代に生まれ、いとうさんを見て育ったからです」と書いた。

郵便ポストに手紙を投函して、わずか4日後、マネージャーから「お受けします」とのメールがあった(当然ながら、返信のためのメールアドレスを記入しておいた。相手に手紙での返事を強要するわけにはいかない)。

小躍りした。そして、手元にあるゲラ(原稿)を送った。さらに1週間後、いとうせいこうさんからの推薦コメントが届いた。

歴史は繰り返すという。だが、過ちを繰り返さないためにこそ歴史があるのではないか。繰り返してはならない、この歴史を。

これらの文字が映し出されたモニターをじっと見つめた。何度も読み返した。

そして、安藤に伝えた。

「いとうせいこうさんからコメントが届いたので、これと朔太郎のを組み合わせて」と。

朔太郎とは? 日本近代を代表する詩人、萩原朔太郎であり、「朔太郎の」とは彼が関東大震災直後に発表した詩「朝鮮人あまた殺されその血百里の間に連なれり われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」のことだ。

この詩を帯に入れることは、その前から決めていた。が、加藤さんには伝えていなかった。「詳しい人」である加藤さんにとって、この詩もまたありきたりに見える可能性がある。しかし、ぼくはとても重要な役割を果たしてくれると考えていた。