高市自民は本当に「保守」なのか?

発表された基本方針をつぶさに読むと、安全保障に関わる法律を認め、原子力発電所の再稼働も条件付きで容認していることがわかる。かつての頑なな姿勢からは考えられない転換だ。これは間違いなく、公明党が加わったおかげだろう。

あるいは、選挙を前にして、まとまった宗教票がほしかった部分もあるだろう。しかし、動機はどうあれ、結果として彼らは「現実」を受け入れた。

現実を無視した反対運動ではなく、現実を踏まえた上での対案作りへ。この変化は、日本にとって悪いことではない。

まともな能力を持つ野党がいなければ、政治に緊張感は生まれない。そして、この「現実路線への転換」こそが、対「高市」における最大の武器となる。なぜなら、現在の高市政権こそが、保守の本流から外れ、現実を見失いつつあるからだ。

現在、国を率いている高市早苗首相と自民党は、自らを「保守」と呼ぶ。しかし、今の政権の実態はどうだろうか。

(撮影・集英社オンライン)
(撮影・集英社オンライン)

外交を見れば、その矛盾は明らかだ。勇ましい言葉とは裏腹に、ただ波風を立てないように振る舞うだけの外交に終始している。靖国神社には行かない。自らの失言を中国につけ込まれる。保守を自称する人々は、高市首相の周りで「高市首相を守れ」と騒いでいるが、一体、高市政権の何が保守なのかがいまだにわからないままだ。

経済においてはさらに深刻だ。将来の借金を増やすばかりで、規律のないお金のばらまきを続けている。口では勇ましい「成長戦略」を語りながら、実際にやっていることは、問題の先送りと人気取りのための散財。

財政規律を無視し、大きな政府を志向するその姿は、かつての自民党が批判していた「左派ポピュリズム」そのものではないか。今の高市自民党は、保守の仮面を被ったまま、進むべき方向を見失っているようにさえ見える。

だからこそ、新しく生まれた「中道」には少し期待したいと思っている。ネットを含め、同党に対する世間の冷たい目からすれば、私の送る眼差しの温かさといったらない。だが、中道が掲げる公約の中にも、危うい毒が含まれている。

たとえば、福祉や支援にお金を使うとき、お金が誰の懐に入るのか、という根本的な問題だ。ここにこそ、リベラルが陥りやすい最大の罠がある。