イジメられても家族に言わず我慢
藤原灯さん(39=仮名)は幼稚園のころからイジメられていた。小学校に入ると、また別の子たちに意地悪をされたが、家族に言わず、それが当たり前だからと我慢していた。
当時は、京都市内で祖父母と両親、3歳上の兄と2歳下の妹の7人暮らし。家族のみんなが祖母の癇癪の影響を受けていた。
「父方の祖母は一言で言うなら毒親で、家庭内をしっちゃかめっちゃかにされてました。嫁いびりは当たり前で、ちょっと味付けが塩辛いだけで、『こんなん食べさせて殺す気か!』みたいな。
母親の愛を知らずに育った父は天気が悪いだけで機嫌が悪く、母もいつもピリピリしていたから、私は自然と感情を押し殺していたような気がします。
家庭では何も言い返さず、“手のかからないいい子”であろうとしていた分、外では気弱な幼馴染や優しい友人に対して、つい強く言ったり、怒ったりしてしまうことがありました。
それが原因で、対人関係がうまくいかないことがあり、素直に自分を表すことに恐怖や罪悪感を抱くようになったのです」
きょうだいの仲もあまりよくなかった。
特に祖母に可愛がられていた兄は、妹たちに横暴で、藤原さんは小学6年生の頃から「半径1メートル以内に入るな」と言われ、会話しなくなった。
妹の不在時に兄が「貸したゲームを探す」という名目で妹のタンスを勝手にあさるなどして、ますます家が安心できる居場所でなくなってしまったという。
張り詰めた家の中で、藤原さんが安らぎを感じたのは、母親がお菓子やピザを焼いたり、絵本を読み聞かせてくれたとき。穏やかな母の様子に「安心」や「あたたかさ」を感じ、今でも藤原さんの好きな物のルーツになっているそうだ。
藤原さんが中学2年生のとき、親子5人で暮らし始めた。きっかけは、妹が入浴中に祖母が何度も覗きに来たこと。
母が「子どもたちも思春期だからやめてくれ」と頼んでも聞き入れてくれず、怒った妹が風呂のガラスドアを割って流血騒ぎになった。
「祖母にいくら言っても無駄だ。子どもたちの心に傷を残したくない」
そう思った母親が、別居を決意。祖父が家を用意してくれたのだ。
「祖母から離れられて、母の表情はだいぶ和らいだ感じでしたけど、私は、おじいちゃんを置いて家を出てしまったことが申し訳なくて、悲しかった……。
当時の私は、無条件の愛を、おじいちゃんからもらっていた気がします。穏やかな人やったんで。ほんと、なんであの祖母と結婚したのか謎なくらい。でも、その不思議がないと、私もいないんで、この矛盾がしんどい」













