この歌がラジオから流れてくると「涙が止まるんだよ」

未来がどうなるかわからない不安と、一人として頼るものがいない孤独のなかで、新年を迎えた後もアトキンスの修行に耐え続ける日々が続いた。

そんな馬場の唯一の救いは試合に出場して戦うことであった。もちろん役割はヒール、日本からやってきた手強い悪役だ。

試合に向かうために、カナダ国境の山中にあるクリスタルビーチを出て、トレーナーのアトキンスと一緒に移動する際には車が基本である。主戦場だった北米各都市の会場へ行くには、数時間から十数時間もの長旅になった。

1999年1月31日に亡くなったジャイアント馬場氏。写真はDVD『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』(2019年6月28日発売、TCエンタテインメント)のジャケット
1999年1月31日に亡くなったジャイアント馬場氏。写真はDVD『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』(2019年6月28日発売、TCエンタテインメント)のジャケット

単調な景色が延々と続く退屈な旅の友は、カーラジオから流れてくる音楽である。

馬場がカーラジオから流れてきた、坂本九の『SUKIYAKI』に出会ったのは、ケネディと力道山の死がセットになって、「身体中が冷たくなるような、いいようもない辛い年だった」という1963年の終わり頃のことだった。

アナウンサーとしてその年に日本テレビに入社して以来、プロレス中継を担当して、馬場とも個人的に交友のあった徳光和夫が、こんな思い出を語っていた。

「直接うかがったところによると、海外修行は相当辛かったようですね。帰りの飛行機代も持たずに片道切符で海を渡り、厳しい練習に耐えながら車で各地を転戦する。馬場さんが仰ってましたよ。『アメリカの道を車で走っていると涙がこぼれてくるんだけど、そのときにラジオから坂本九ちゃんの<上を向いて歩こう>が流れてくると、涙が止まるんだよ』って。」

人生の荒野に、たった一人で投げ出されたような状態に置かれた馬場は、日本からアメリカにやって来た、一人ぼっちのロンサム・カウボーイだった。

だがそんな状況下にあって、英語だけのラジオから不意に流れてきたのが、日本語の『上を向いて歩こう』だったのである。

『上を向いて歩こう』はアメリカで『SUKIYAKI』と呼ばれ、ビルボード・チャート1位に輝いたは1963年6月15日だ。写真は2023年6月発売された『THE BOX of 上を向いて歩こう/SUKIYAKI』(UNIVERSAL MUSIC)より
『上を向いて歩こう』はアメリカで『SUKIYAKI』と呼ばれ、ビルボード・チャート1位に輝いたは1963年6月15日だ。写真は2023年6月発売された『THE BOX of 上を向いて歩こう/SUKIYAKI』(UNIVERSAL MUSIC)より
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自分ではどうにもできない状況で涙をこぼしている時に、この歌がラジオから流れてくると「涙が止まるんだよ」と述べていた言葉は重い。

1963年3月から日本に一時的に帰国していた馬場は、『上を向いて歩こう』がアメリカで5月から7月にかけて大ヒットし、全米1位の快挙を遂げたことを知らなかった。

しかしそのことを教えられてからは、移動中に休憩でドライブインに立ち寄ったら、必ずジュークボックスで『SUKIYAKI』を探してコインを入れて聴いていたという。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

参考文献
『たまにはオレもエンターテイナー』(ジャイアント馬場/かんき出版)
DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 蘇る16文キック』第2巻(小学館)