「頭のなかは空白ですよ」ジャイアント馬場が異国で知った2つの“死”
ジャイアント馬場が力道山の死を聞かされたのは、1963年12月の中旬のことだった。
アメリカに長期滞在して2度目の武者修行中だった馬場は、その頃からテロの恐怖を身近に肌で感じていたという。
それは実際にケネディ大統領暗殺という、歴史的な大事件が11月22日に起こったことで、アメリカ中が騒然としていたからである。
民主主義の希望とも目されていた若き大統領が亡くなったことによって、「歴史が極端に右から左へ、左から右へと揺れ動いていく気配が肌に伝わって来た」と、馬場は当時の印象を自伝に書き残していた。
そんなケネディ暗殺から1か月も経たないうちに、今度は恩師の力道山が喧嘩で刺されたことが原因で、入院中に亡くなってしまったのである。
「身体中がスーッと冷たくなっていって、頭のなかは空白ですよ。ちょうど、巨人時代に、五メートル先のものがハッキリみえなくなって、野球生命を断たなくてはならないような大病にかかったとき、警察病院で、『馬場さん、アンマさんになりなさい』って宣告されたときの、あの感じとそっくりでしたね」
野球生命を絶たれて、球団をクビになった元巨人軍の投手、馬場正平にプロレスラーの可能性を見出して、ゼロから育ててくれた力道山の死は、馬場にとって生涯の大きな分岐点となっていく。
あらゆる意味でバックボーンだった力道山が亡くなったことによって、当初は将来への希望までも失われたのかもしれないと思った。
というのも、力道山から預かって馬場を鍛えていたフレッド・アトキンスに聞いても、マネージメントを行っていたグレート東郷に連絡しても、先々のことはまるで要領を得なかったからだ。
そのために当面はアメリカに一人で留まって、これまで同様に厳しい修行を続けるしか道はなかった。














