常識が通用しない秀吉
だから秀長についても「弟だったから当然のこととして秀吉の右腕になった」という見方はいろいろなところから間違いなのです。特に秀吉は、血縁だからといって重く用いるような甘い人物ではない。優秀でない人物を重要なポジションに起用することはしない人です。秀長は相当頑張って、自分の力で秀吉の補佐役としての地位をつかみ取っていったと考えるべきでしょう。
秀吉は弟の秀長は殺していませんが、甥にあたる豊臣秀次(1568年~1595年)を殺しています。一度は後継者に定めた秀次ですが、本人だけではなく、彼の一族まで皆殺しにしてしまいました。この件については「実子の秀頼(1593年~1615年)が生まれたために秀次が邪魔になった。秀頼の安全を考えて、秀次一族を皆殺しにしたのだろう」と見られています。
しかし國學院大學の矢部健太郎教授は「秀吉は秀次を進んで処刑したわけではない」という説を立てています。「当時、豊臣の血はダイヤモンドよりも高価であった、だから秀次を殺すわけがない」。そうした議論の進め方なのですが、しかしルイス・フロイスの記した一件を考えると、この説は的外れということになります。
実際、世界史的に見ても、将来のリスクを考えて血縁者を殺してしまう事例は多数ありますね。たとえばハーレムを設けるようなアラブの王様のところでは、王子が何十人といる。そして王様が亡くなると、その王子たちのうちからひとりが選ばれて次の王様になる。そうすると残りの兄弟たちはみんな自動的に殺されるのですね。将来の禍根を断つため、王族の名誉のもとに殺されます。
つまり秀頼が大切であれば、秀次たちは殺される。それを現代の我々の常識的な考え方を持ち出して「豊臣の血は当時、貴重だった。だから本当は殺したくなかった」と見るのは違うのかなと感じます。
ただし秀次の場合は難しいところで、本人は殺してしまうにしても、その子どもたちまで、命を奪う必要があったのかどうか。織田信長の場合も、弟の信勝は殺しても、その息子の信澄は生かして織田を支える一門をつくろうとしていました。
秀吉としても本当は「豊臣一門」という一族をつくっておくべきではあった。秀次の子どもたちは殺さずにおいて、豊臣一門か、あるいは羽柴一門のような勢力をつくる道もありました。そうすると彼らが将来、秀頼の助けになったかもしれない。そうした可能性は考えなかったのでしょうか。
もし考えなかったのだとすると、そのあたり秀吉は本当に、当時の武家の常識が通じない人だったということになります。













