不動産の原点は「恩人」からの学び
音楽一筋で生きてきた彼が、どのようにして投資や実業家としての知識を学んでいったのか。そのきっかけは、東京で出会った一人の女性・小林さんという恩人の存在だった。
「広島から上京して、初めて部屋を借りたときの大家さんが小林さんでした。36歳年上で、干支も血液型も同じ。不思議な縁を感じましたね。19として売れたあともずっと気にかけてくれて、僕にとっては『東京のお母さん』みたいな人でした」
彼女との出会いはアパートの敷地で自分のバイクの整備をしているときだった。みかんと温かいお茶を持って現れた小林さん。その時のことを鮮明に覚えていると話す。
「初めて会ったとき“何でも言ってくださいね!”って挨拶したら、本当に何でも頼まれるようになって(笑)。電球を替えたり、下水道を見たり、運転手をやったり。『俺、紅白歌合戦出てるんだけどなぁ…』なんて下水道見てる時に思ったりもしました(笑)。喧嘩もしましたけど、本当に可愛がってもらいました」
その手伝いの中で、自然と不動産の知識やお金の管理の仕組みを学んでいったという。
「最初はちんぷんかんぷんだったけど、一緒に帳簿を見たり現場に行ったりしているうちに、自分もやってみたいと思えるようになった。銀行の方が小林さんの家に来て話を聞くことがあったのですが、『けんじも隣で一緒に話聞いておきな』って言ってくれて、意味不明だった言葉がだんだんと理解できるようになって。それがなんだか楽しかったんですよね」
そうくしゃっと笑いながら「今の僕があるのは彼女のおかげ」と誇らしそうに話した。19で得た収入も小林さんが管理していたそうだ。
「小林さんは僕のギャラ(が入った通帳を)を神棚に入れて管理してました。『あんたまだ若いんだからダメ』って言って(笑)。当時の僕だったら欲しいバイクだったり、何か別なことに稼いだお金をつかっちゃって散財していたと思うので、今考えるとありがたいことですよね」
そうしてまとまったお金を投資に回し、現在の生活を手にいれた。お金に不自由なく生活を送れているのは、今は天国にいる小林さんのおかげだと微笑みながら重ねて感謝を述べていた。

















