どうすれば「力による支配や決定」から逃れられるか

しかし、ではこのような権力性や暴力性を克服するにはどうすればよいかと改めて問うた時、私たちは、相互承認と共通了解の原則、その普遍性に対する合意を得る以外に、はたして手を持っているでしょうか?

こちらも力をつけて、相手の言い分をねじ伏せることも可能かもしれません。でもそれだと、結局いつまでも力と力の戦いが繰り返されるだけです。

もし力による支配や決定を望まないなら、その限りにおいて、私たちはよりよい対話の場をつくり出していくほかありません。それはつまり、相互承認と共通了解を原則とした対話の場を、政治にも、経済にも、教育にも、市民生活のあらゆる場面につくり出していくことです。

何を甘っちょろいことを、と思われるかもしれません。でも、どれだけ迂遠に思われたとしても、暴力を縮減するには対話の場をつくり出す以外にないのです。

哲学対話は、いわばその練習の機会でもあります。

現実世界では、相互承認と共通了解を原則とした対話など、そう簡単に実現するものではありません。でもだからこそ哲学対話の場の意義は、かえって際立ってくるはずです。

少なくともこの場では、互いを対等な対話者として尊重し、共通了解をつくり合うことができる。その経験は、現実世界における暴力の横行に立ち向かう力と勇気を、私たちに与えてくれるはずです。

真の多様性は、普遍性によってこそ支えられる、と書きました。ここまでで、そのことの意味をご理解いただけたのではないかと思います。

人類が共存するためには、結局のところ、本質観取の二大原理である相互承認と共通了解を、まさに普遍的なものとして共有するほかないはずです。

共に生きる対等な仲間として、互いを認め合うという相互承認の原理。この原理の〝普遍性〞が共有されなければ、一人ひとりの多様性が尊重されることはありません。また、対話を通して共通了解をめがけていくことの重要性が普遍的に共有されなければ、やはり私たちは「力による支配」を繰り返すほかなくなってしまいます。

別言すれば、多様性、多様性とただ言っているだけでは、結局、それぞれの多様性どうしの力と力の戦いを招来してしまいかねないということです。

真の多様性は、〝普遍性〞によってこそ支えられる。つまり、多様性を尊重し合うためにこそ、私たちは、相互承認の原理と共通了解の原理の〝普遍性〞を、認め合う必要があるのです。

「会議でいくら建設的な議論を積み重ねても、鶴の一声ですべてが決まる…」権力者の論理が優先される現代社会に対抗しうる「対話」の重要性とは_3

だから、この二つの原理を組み込んだ本質観取は、多様性を尊重することを旨とする民主主義と共生社会のこれからにとって、とても大きな意義を持っている。そう、改めて言いたいと思います。