人生を変えてくれた義父
──受賞の報せを聞いたときはどんなお気持ちでしたか。
小松由佳さん(以下同) うれしくて、夢のような気持ちでした。
ただ、結果を待っている間に考えていたのは、受賞してもしなくても、この作品を書いて世に出すことが、私にとっては一番大切なことだということでした。
──執筆の動機はどんなところにありましたか。
書かずにはいられなかった、の一言に尽きると思います。
この本を書いている4年くらいの間に、新型コロナの流行、トルコ・シリア地震、そして、半世紀以上シリアで独裁政治を維持してきたアサド政権の崩壊がありました。
劇的な政治的変化や災害のなかで、自分が書かなければ時間とともに埋もれ、忘れ去られていってしまうであろう人々の声や思い、エピソードを拾い集め、残しておきたいと思ったのです。
私がシリア難民の取材を始めたきっかけは、2012年に夫の兄が「反逆罪」で逮捕され、行方がわからなくなったことでした。
民主化運動に参加したことでアサド政権に対する反逆者とみなされたのです。
その日以降、平和だった家族の日常は崩壊していきます。
空爆が続く内戦から逃のがれるために流転の旅を続け、バラバラになっていく家族の姿を見て、シリアの内戦や難民を取材したいと思うようになりました。
ですからこの作品は、難民たちのノンフィクションであるだけではなく、彼らと出会い、交わって生きてきた私自身の物語でもあります。
自分の内面をしっかりと組み込んで書くように心がけました。
──小松さんの義父ガーセムさんも難民となり、「故郷に戻りたい、パルミラで死にたい」と願いながらトルコで亡くなります。ラクダの放牧を生業とし、総勢70人近い大家族の精神的支柱であるガーセムさんは、イスラム世界とは宗教的ルーツも文化も異なる小松さんを家族として包み込んでいます。小松さんにとってガーセムさんはどういう存在でしたか?
ガーセムが私とシリアを結び付けてくれましたし、その生き様によって、シリア難民の取材へと誘ってくれました。
そういう意味で、私の人生を変えてくれた人ですね。
彼が難民になる前の、沙漠の薔薇と呼ばれたパルミラでの豊かで美しい暮らしも、一転して難民となったあとの過酷な生活も、私にとっては生涯忘れられないインパクトのあるものでした。
ガーセムや家族との出会いは、私にとって未知との遭遇だったわけですが、彼らにとっても、同じだったはずです。
そういうなかで私を受け入れてくれたのは、自分たちの文化を知ろうとしているんだということを感じ取ったからではないかと思います。
最初は素っ気なかったものの徐々に距離が縮まっていき、私が日本に帰るときには「さようならと言わなくていいよ」「また来年くるんだろう、『ちょっと行ってくる』と言いなさい」。そんなふうに言ってくれる人でした。













