消去法でヴォーカルに、結成翌年にまさかのメジャーデビュー
《こういう夢ならもう一度逢いたい 春が来るたびあなたに逢える》
1999年に発売したHysteric Blueの「春〜Spring〜」。歌詞を見ればメロディーも一緒に思い出すほどの楽曲を生み出した彼らが、来年一夜限りの復活をすることに。ヴォーカルのTamaに当時のことや楽曲の裏話を聞いてみると――。
――Tamaさんといえば綺麗な高音が魅力的ですが、驚くことにヴォーカル志望ではなかったそうですね。
Tama(以下、同) そうなんです。最終的にヴォーカルしか選択肢がなかったんですよ(笑)。エレクトーンやピアノを習ったけど、すぐ眠くなってしまうから鍵盤はだめ。ベースはチューニングする時にペグに手が届かないのが当時の自分的にカッコ悪くてナシ。ギターは速弾きができるのにコードが押さえられなくて(苦笑)。ドラムはちょっと敷居が高いし、私のこの華奢な体だと、やりたいポップロックのパワフルな曲を叩くのは難しい。となると、消去法で『ヴォーカルしかない』ってなりました。
――あの歌唱力でヴォーカルが消去法での選択だったとは信じがたい話ですが、歌がうまいという自覚もなかったんですか?
小学校のクラス合唱会でセンターに選ばれるとか、音楽の先生に褒められるようなことはありましたが、そんな子はクラスで1人はいるから。歌手になる、プロになるなんて考えたこともなかったですね。
――Tamaさんが高校2年生だった1997年にHysteric Blueを結成し、翌年にはメジャーデビュー。どのような経緯があったんですか?
大学受験を考えていたのでバンドは高校2年生の末まで、と決めていました。そんな時に、デモテープを聞いた佐久間正英さん(Hysteric Blueのプロデューサー)が「東京で一緒にデモテープを録ってみない?」と声をかけてくれたんです。
じゃあデモテープを録って、それを思い出にして、バンド活動は辞めようと思ってました。冬休みに上京し1日4曲完パケ。ハードスケジュールだったのですが、とても楽しかったんですよね!
――そこからどのようにメジャーデビューになったのでしょうか。
デモテープを聞いたソニーレコードさんから、メジャーデビューのお話をいただきました。でも、学校が芸能活動禁止だったから、デビューか退学かの2択を迫られまして。最初は思い出作りのはずだったし、親にも大反対されました。
でも、もしデビューしたら1日で4曲じゃなくて、ちゃんと1曲をスタジオで全力で録れるって思ったらワクワクしてきちゃって。高校や大学は年を重ねても行けるけど、メジャーデビューのチャンスは今しかない!と、思い切って決断しました。あの時やっておけば良かったって後悔したくなかったんですよね。

















