ギャグは偶然の産物
『エンタの神様』(日本テレビ系)にも出演した友人の元お笑い芸人・星野卓也に相談すると、その案は全否定されたという。
「『体育学部卒だし、見た目も“体操のお兄さん”っぽいから、そのキャラを活かしたほうがいい』と。他人の目って客観的だから的を得ていることが多い。当時のネタ見せ番組はキャラを作って、観客とやり取りしながら笑いを作っていくのが主流でしたし。
ある日、公園でネタを考えていたら、虫が僕の胸にとまって。手で払う動作が、ちょっと胸をたたくような仕草になって『あれ、面白いかも?』と。『やらやらバンバン』は本当に偶然の産物なんです」
劇場で披露してみると、特に女性客からは不快の目で見られた。
「でも舞台袖の芸人たちはゲラゲラ笑ってくれている。これはイケる。たとえ今の状況が黒でも、オセロのように白に変わっていくと確信できました。実際、その後のオーディションでもすごくウケましたね」
関東ローカルの『お笑い登龍門』(フジテレビ系)、そして『笑いの金メダル』(テレビ朝日系)などのバラエティ番組への出演によって、パッション屋良の知名度と人気は全国区に。「やらやらバンバン」は”真似をすると危険”と、一部小学校で禁止令が出たほどだ。
「僕としては、そこまで広がったことをありがたいと思う部分もありました。ただ、神戸の医療従事者の方から『心臓が停止してるときであれば効果があるが、通常時に胸を叩くのはよくない』とお手紙をもらったときは、やっぱり考えましたね」
その頃のブレイクの実感について尋ねると、
「当時、妻から『ひとり暮らしをしているみたい』と言われまして。妻が寝ているときに帰宅して、妻が起きる前に家を出ていましたから。休みなんてなかったですね。でも、昔の自分が思い描いていたポジションに立てているわけだから、別に休みなんていらないと思っていました。まだ30歳くらいでしたし」
やっぱり、当時はかなりのお金をつかって生活していたのだろうか?
「僕は比較的倹約家なので、派手にお金をつかったりはしてないです。ただ1か月の飲食代が100万円を超えていたときはびっくりしたし、マズイと思いました。ありがたい環境だけど、これがずっと続くかはわからないという不安もあったので。
最高月収ですか? 同時期にブレイクしたヒロシさんや長州小力さんなんかは1000万円超えって言われましたけど、僕はその半分くらい。だから、あのクラスに比べるとインパクトはないと思います。ただ『日本の税金って、こんなに取られるのか!』とは思いましたけど(笑)」
屋良が不安を感じていたとおり、ブレイク後、仕事は緩やかに減っていった。妻は地元の同級生。第二子が誕生したタイミングで、妻子は沖縄に居を移し、屋良は2年ほど東京で単身赴任状態だったという。
「仕事も家庭も中途半端になっていたときでした。東日本大震災もあり、ちょうど2人目の子が産まれるタイミングで。仕事がない、指名をしてもらえないのであれば、自分で仕事を生み出せる環境を作ったほうがいいと考えました。それに、やはり家族と一緒に過ごしたいですし」
こうして屋良は2011年に沖縄に拠点を移し、個人事務所『オフィスパッション』を設立。
「自分で営業を取ったり、番組プロデュース業をやったり。そんな中で、手伝ってもらっていた人に会社の資金を持ち逃げされてしまって、1000万円の借金を背負いました。今思えば、何も知らないまま会社を立ち上げてしまった自分の勉強不足です。規模は違えど、『芸能人あるある』なんじゃないですかね」
その返済はすでに終えているのだろうか?
「いや、むしろ増えています(笑)。今は、パーソナルジム『Passion's Fitness PPP』を名護と那覇に2店舗構えているので、その事業資金などを銀行さんからお借りしています。あと、子どもも4人いますし」













