暴力が日常の家庭

北陸地方出身の中村さん。父親は設備設計の仕事をする会社員で、母親は時々パートに出る専業主婦だった。

「両親の詳しい馴れ初めはわかりませんが、20代半ばで結婚していると思います。幼少の頃の記憶で最も強く印象に残っているのは、父親が玄関先で母親に対して『出て行け!』と怒鳴りながら何度も母の頬を殴っていた記憶です。確か私がほんの2~3歳くらいの頃だったと思います」

今でこそ「面前DV(子どもの前でDVが行われること)」だと分かるが、当時2~3歳の中村さんには知るすべもなく、「なんだかわからないけど怖い」と感じつつも、「きっとどこにでもあること、なんでもないようなこと」と思おうとしたという。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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父親による母親への暴力は頻繁にあったようだ。中でも中村さんが小学生の頃には、父親が母親を何度も何度も殴ったり張り倒したりしており、時には母親が泣きながら台所に行き、包丁を手に自殺を図ろうとするが、父親に包丁を取り上げられ、また何度も何度も殴られる……ということもあったという。

「父に掴まれて動けない母は泣きながら私に、母の実家に『今すぐ電話して』と懇願しますが、父からは『そんなことをしたらただでは済まさない』と脅され、結局何もできませんでした。その直後、母は私を連れて家を出たのですが、程なくしてまた家に戻りました。まだ幼かった私には、戻った理由はわかりませんでした」

DV(ドメスティック・バイオレンス)とは、配偶者、恋人などの親密な関係にある(もしくは親密な関係であった)パートナーから繰り返される暴力のことだ。一方モラルハラスメントは、精神的暴力が主な手段となっているDVを指す。

中村家では、父親から母親への身体的暴力だけでなく、精神的暴力も日常的に行われていた。そしてあろうことか、父親から中村さんへ、母親から中村さんへの暴力も頻繁に行われていたのだ。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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例えば5~6歳の頃、中村さんは父親からグローブとボール(硬球)を買ってもらった。父親は「キャッチボールをやろう」と言う。

しかしまだ幼い中村さんは、父親が投げるボールが捕れない。すると捕れない度に酷く罵られ、顔や体にボールを当てられる。痛さのあまり泣き出すと、「こんなボール痛くないだろ!」と痛みさえ否定される。中村さんは父親とのキャッチボールを、「デッドキャッチボール」と呼んだ。

また、中村さんにとって食事の時間は、楽しい時間ではなかった。食事中は、両親から責められたり怒られたりした記憶ばかりがあるからだ。中村さんにとっては、食事の時間にテレビが点いていたことが唯一の救いだった。テレビに集中していれば両親と会話せずに済む。

ところが、中村さんがテレビに集中しているのが面白くなかったのか、母親は突然中村さんの後ろから手で目隠しをし、「今日の献立を全部言え」と迫ってくることが度々あり、間違えば責められたり、酷い時は殴られた。泣き出せば母親から、「お前は男の癖によく泣くから、将来は女優になれるな!」と嘲笑。

またある時は、父親から「食事中にテレビの方を向くな」と言われた。座る位置のせいで、首を90度近く曲げないとテレビが見えなかったため、その姿勢が気に入らなかったようだ。

父親は、テレビの真正面に座っている。思わず「お父さんは首を曲げなくてもいいからずるい」と口にすると、父親は突然激昂。食事中の中村さんの首を掴んで吊り上げ、何度も殴られた。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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「こんなことがしょっちゅうあったもんですから、食事というもの自体が嫌いになりました。食事にトラウマがあると、当然食事の量も少なくなり、私はずっとやせっぽちでした。親からは事あるごとに『男の癖に痩せすぎ、肩がない』とか『情けない身体』などと言われたものです」

服装についても、自分で選んだ服の組み合わせを、「センスがない」と一蹴され、「お前は笑顔が不気味だ」などと言われて深く傷ついた。

それでも小学校高学年になると、少しずつ身体が大きくなり、体力もつく。母親に殴られるときに避けたり、あまり泣かないようになっていく。ある日、母親から殴られ、気丈に睨み返したところ、母親は半笑いを浮かべた直後に拳を握ってボクサーのような構えを取り、「やるのか? おら。まだ負けんぞ?」と言い放った。

「それを見たとき、私は酷く怯えてしまいましたが、同時に、『もう少し大きくなって母より力もついたら、絶対に仕返ししてやろう』と心に決めました」