「栄養バランス信仰」にとらわれるな
「健康のために野菜をたくさん食べましょう」これも栄養アドバイザーの決まり文句だ。僕はそれを耳にするたびに脱力してしまう。ようするに、無理してでも野菜を食べろと言いたいわけだ。ナンセンスである。
田舎育ちの僕は小さいころから野菜をたくさん食べて育ってきた。畑で採れたてのトマトにかぶりつくと口のなかに豊かな甘みと酸味が拡がる。ドレッシングもマヨネーズもいらない。それだけで絶品のご馳走なのだ。
野菜は義務感で食べるものではない。美味しいから食べるのだ。体が求めるから食べるのだ。その美味しさを知らないのは不幸である。
安さが売りの大型スーパーに並んでいる野菜ははっきり言ってどれもマズい。野菜の本当の美味しさを知らない人は、いちど青果店でおすすめの野菜を訊いて買ってみてほしい。違いがわかるはずだ。
肉や魚にしてもそうだ。素材の味が引き立つ食材こそ最高のご馳走だ。ぜひ食に貪欲になってほしい。美味しいものを求め、舌と体を喜ばせてあげる。それが結果的に多様な栄養摂取につながるのである。
ただし、良い食材はそれなりに値が張ることも多い。特に都市部はなおさらだろう。でもそこは健康投資だと割り切ろう。多少の奮発を惜しむべきではない。健康にまさる財産はない。
いちばん経済的なのはやはり旬の食材である。春のキャベツやイワシ、夏のトマトやアジ、秋のキノコ類や柿、冬の大根やブリ。どれも美味しく、栄養価も高いうえに値段も手ごろだ。
ありがたいことに日本には四季がある。1年を通してバラエティ豊かな「旬」の食材が簡単に手に入る。日本で暮らすそのメリットを享受しない手はない。
その日1日のパフォーマンスも、午後の集中力も、明日のスタートダッシュも、何を食べたかで左右される。よくわからない栄養アドバイザーの講釈ではなく、自分の舌と体に耳を澄ませよう。
私たちは毎日食事を摂る。ゆえに食事を当たり前の行為として適当にあしらいがちだ。侮ってはいけない。食はめまぐるしい現代社会を生きる私たちの生存戦略そのものなのだ。
文/堀江貴文 写真/shutterstock













