セクシー女優時代は撮影現場から病院に搬送されることも
セクシー女優として抜群の知名度があった上原亜衣。男性ファンのみならず、同性からも愛されていた。彼女に憧れてセクシー女優も志す女性も少なくないが、なぜ彼女はここまで有名になったのか。
「私ってネットのおもちゃにされがちなんですよ!(笑)。(顔が)フシギダネに似ているとか、ティガレックスに似ているとかで定期的にバズるんです。おかげでセクシービデオを見ない層の方にも知っていただけたと思います。
あとは、私は企画単体女優といって月に何本でも出れる契約だったから、他の女優さんよりも人目に触れる機会が単純に多かったのもあると思います」
現役時代、1番忙しい時は月に25日がセクシービデオの撮影、他にグラビア撮影やイベントをこなし、休みが1日だけだった月もあったそうだ。
「毎日レッドブルを4本とか飲んで、30分の休憩すらも寝かせてもらっていました。気力はあるけど、体力が限界を迎えて、扁桃腺が腫れて高熱が出たことが何回もあって。撮影現場から病院に搬送されて、1日入院して点滴をして、翌日そのまま別の撮影現場に行ったこともありましたね。20代前半だったから出来たけど、今なら絶対に無理だと思います(笑)」
多忙すぎた現役時代を振り返りつつ、「忙しすぎたから良かったこともある」のだとか。
「ありがたいことに単体女優(1つのビデオメーカーと専属契約を結ぶ女優)へのお誘いもありました。ただ単体女優になると、1つのメーカーから月1本ぐらいしかセクシービデオが出せない。その分高額なギャラだったりもするのですが、専属契約なので、そのメーカーでしか出演はできないんです。そうすると、今まで一緒に仕事をしてきたスタッフさんと撮影をすることができなくなっちゃう。
それに単体女優だと、撮影が1日で他の撮影やイベントがあっても月に仕事の日は3日とか4日ぐらい。20日以上も何も予定がない日が続いたら、暇を持て余しちゃうから、大金を手にしたら遊び歩いちゃってたかも…。私は18歳でデビューして、お酒も遊びも知らず、休みもないまま働いていたのでお金は貯まる一方でした。その面ではよかったと感じています」
当時を振り返り、1000本以上の作品に出演した彼女が最も印象に残っている作品について聞くと、迷わず「引退作品です!」と答えた。
「最後の作品は、好きな監督10人、仲の良いセクシー女優10人、男優100人、スタッフ100人を超える総勢300人以上で制作した超大作。これも私が企画単体女優だからできたことだと思います。応募によって集まった100人の素人男性と追いかけっこをして、捕まったら…という内容でした。撮影日が12月30日というド年末だったのですが、私の引退作品のために、こんなに多くの人が集まってくれたこともすごく嬉しかったです」
その引退作品は3日間にわたって6本撮影された。応募してきた、マラソンが趣味だという男性ファンは「2日間100kmマラソンを完走すれば上原亜衣に会える」という特別な条件が与えられ、それを実践した。後に『青春100キロ』 というタイトルで映画化もされている。
「私のために100kmも走って会いにきてくれたことにすごく感動して、自然と涙があふれました。この彼が私の女優時代、最後の相手。今は業界のルールが変わって、ファンの人が男優として撮影に参加することは難しいし、そういった点でもこういう作品はもう作れないだろうなと」













