モーニング娘。が見せてくれた音楽の力
この企画は2000年、SHAZNAにも持ちかけられていた。解散に関して、人にゆだねることを絶対にしたくなかったSHAZNAはこの企画を拒否。これが火種となって活動休止という選択をした*1。
「雷波少年系ラストチャンス」について当時、私は強い嫌悪感を抱いていた。「番組出演者による番組内の企画」であれば楽しめるが、出演者ではないプロのミュージシャンをつかまえてきて、視聴者を煽り、オリコンチャートや動員数でその後の進退を決める。当時の番組の人気から勝算があったのだろう。
そして見事に両ユニットとも成功に終わった。それゆえ「どうだ、テレビの影響力はすごいだろう」「売り上げなんてものは、音楽なんてものは、テレビがコントロールできるのだ」「いろんな声があるかもしれないが、本人たちがこの企画を受けたのだから」という制作者側の顔が透けて見えた。
ドラマ、CM、アニメ、バラエティ番組など、タイアップがとれるかどうかで売り上げが変わる。90年代は実際、そういう時代だった。しかし、こんなに大っぴらに「テレビ>音楽家」という姿を見せることはないだろうと、19歳の私は憤っていた。
しかし、そんなモヤモヤした気持ちを晴らしてくれたグループがいた。『ASAYAN』(テレビ東京)から誕生したアイドルグループ・モーニング娘。だ。
『ASAYAN』は「夢のオーディションバラエティー。」として人気を博していた。2010年代、20年代もオーディション番組やリアリティ番組が人気だが、『ASAYAN』はそのさきがけとなった番組で、オーディションを受ける人たちの努力と汗と涙と苦悩など、毎週、めまぐるしい展開を見せることで人気を集めた。
モーニング娘。は『ASAYAN』内で行われたオーディションの落選者たちで結成された。番組にとってみれば「メインディッシュ」ではない「副産物」だった。しかし、企画を展開させるごとに注目を集め、活動2年目に発売したシングル『LOVEマシーン』(99年)のヒットでその人気は国民的なものとなる。
モーニング娘。の活動と並行して、さまざまなオーディションが番組内では行われていたが、視聴者はそれらの企画よりも「モーニング娘。の展開」を見るためにチャンネルをあわせた。もはやモーニング娘。は「『ASAYAN』なしにはやっていけない存在」ではなくなっていた。番組を凌駕する存在となったのだ。
「流行りの音楽は、むしろこちらが作ってるんだ」という番組制作者たちが小さく見える、痛快なブレイクだった。
*1 SHAZNA『ホームレスヴィジュアル系』ゴマブックス、2008年
文/ミラッキ













