電波少年/雷波少年の功罪

話を戻そう。私は『電波少年』から『ウリナリ‼』『みなさんのおかげでした』までの流れをリアルタイムで見ていた。テレビのバラエティ番組発のヒット曲で、中古ではなく定価でCDを購入したのはパッパラー河合がプロデュースをつとめたポケットビスケッツの『YELLOW YELLOW HAPPY』のみ。ファーストシングル『Rapturous Blue』はその後に購入したが、私と同じような人は多く、『YELLOW~』の発売後に順位を上げていた。

ポケビと同じ年に河合は『進め!電波少年』において『旅人よ ~The Longest Journey』を作りヒットさせているが、こちらには意外性を感じず、購入しなかった。テレビが生み出す「物語」にのみ込まれることはなく、「音楽としてかっこいいか、面白いか」という基準でCDを購入していた。

そんな中でテレビから生まれた「物語」も「音楽」も、どちらも心から面白いと思い、発売するやいなや購入していたCDもある。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)から誕生したユニット・GEISHA GIRLSのシングルとアルバムだ。

ダウンタウンの松本人志と浜田雅功が芸者のメイクと衣装で、坂本龍一が作った楽曲にのりラップをする……。この企画が生まれるきっかけとなったフリートークから、発売後のプロモーションまで、すべてのテレビ番組をチェックした。レコーディング中の出来事を綴った書籍も購入した。

自分のまわりでは当たり前のように聴かれていたGEISHA GIRLSだったが、この企画は大ヒットというよりは小ヒット。ファーストシングル『Grandma Is Still Alive』(94年)は最高順位15位、累積売上は25.8万枚、セカンドシングル『少年』(95年)の最高順位は35位で、累積売上は6.6万枚。ミリオンには遠く及ばない売り上げだった。

しかし、『少年』と同日発売のアルバム『THE GEISHA GIRLS SHOW~炎のおっさんアワー』は累積37万枚の売り上げで、発売2週目には1位も獲得している。私が選曲し、DJをつとめているラジオ番組『9の音粋』(BAYFM)において、このアルバムに収録されたコントを流したことがあるが、その際、Twitter(現・X)のタイムラインがピタッと動かなくなった。松尾芭蕉ならきっと一句ひねったと思われる静けさだった。ミリオン前後まで売れているかいないかの違いを思い知った夜だった。

テレビの企画によるヒットは「芸人」だけにとどまらなかった。ポケビが1位を獲得し、野猿がデビューした98年、電波少年の兄弟番組『雷波少年』(日本テレビ系)にて「雷波少年系ラストチャンス」という企画がはじまった。これは「3ヶ月の合宿の中で曲を作成。その曲がオリコン初登場20位以内に入らなければ即解散および音楽業界から足を洗う」というもの。20位というハードル、そして「解散」という重い言葉。いずれもポケビのセカンドシングルの企画を踏襲している。電波→ウリナリ→雷波の順で再びボールが戻ってきた形だ。

『雷波少年』ではさらに「音楽業界から足を洗う」というのが加わっている。この企画に挑戦したのは当時デビュー3年目で、ヒット曲が出ていなかったバンド・Something ELse。番組の中で曲作りの様子が伝えられ、同年12月にシングル『ラストチャンス』を発売。初登場2位、翌週には1位を記録する大ヒットとなった。

Something ELse起死回生のシングル『ラストチャンス』のジャケット
Something ELse起死回生のシングル『ラストチャンス』のジャケット

翌年の99年はBluem of Youthが挑戦。企画は過激化し「合宿」ではなく「シベリア鉄道でロシアを横断し、その間に1曲作る」「日本武道館で公演を行い、1万人の観客動員がなければ解散。音楽業界から足を洗う」というものになった。見事クリアし、発売したシングル『ラストツアー~約束の場所へ~』は初登場2位を記録している。