有吉とはアクセルとブレーキの関係だった 

――現在は舞台役者として活動中の森脇さんですが、あの伝説的企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」から何年になりますか?

森脇(以下、同) あれが1996年だったので、もう19年になりますね。95年に太田プロダクションの新人オーディションに合格してデビューしたので、芸人2年目でした。

――まさに人生を変える企画でしたね。

あの日のオーディションでは、香港のイベントでコントをすると言われていたので、2泊3日ぶんの荷物しか持っていなかったんですよ。そしたらいきなりカメラが回っていて、『ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断しろ』って言われて…。

――やらせなしのガチンコだったんですね!その時の心境はいかがでしたか。

もう…何も言葉が出なかったですね。何もわからないまま、突然車に乗せられて会場であの企画を聞かされたので。

今思えば、あの旅は賢くお金を使って進んでいくようなものじゃ撮れ高はなかっただろうし、番組的にはお金がなくなってからが面白い、というのは確かにわかるんですけど…。

お金もないし宿もない、旅中の100日以上は野宿だったので、夜中に寝るときも常に危険と隣り合わせで、正直“死ぬかもしれない”と本気で思いました。

誰も助けてくれないし、とにかく過酷でした。いやー、あれは本当に本当にキツかった!


森脇和成 1974年8月1日生まれ、広島県出身。1994年、お笑いコンビ・猿岩石でデビュー。96年、バラエティ番組『進め!電波少年』で大ブレイク。04年のコンビ解散後は芸能界を引退し、15年1に芸能界復帰を発表。現在は、劇団ノーティーボーイズに所属

森脇和成 1974年8月1日生まれ、広島県出身。1994年、お笑いコンビ・猿岩石でデビュー。96年、バラエティ番組『進め!電波少年』で大ブレイク。04年のコンビ解散後は芸能界を引退し、15年1に芸能界復帰を発表。現在は、劇団ノーティーボーイズに所属

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――番組でも、あまりの過酷さに涙するシーンもありましたね。途中で「やめたい」と思ったことはなかったのでしょうか。

それはもちろんありましたよ。事故が起こればこの企画は終わるな、なんて思って車の前に飛び出そうか、なんて考えたりもしました。

でも、『相方より先にギブアップはしたくない』って気持ちだけで踏ん張ってました。正直ね、心の中では“先に有吉がギブアップしてくれないかな”って思ってました(笑)。番組側からは、『辛かったらいつでもやめていいよ、君らの代わりはいくらでもいるから』って言われていましたね。

――番組では、絶食や野宿、襲われてお金がなくなったりスタッフが殴られるなどのリアルさが満載でした。何度もお聞きしてしまいますが、台本やリハーサルも全く無しだったのでしょうか。

はい、あれは本当に台本も何もなくて、行き当たりばったりで。日本から救援物資が届いたのでワクワクして開けてみたら入っていたのは空手着で、突然街中で空手の板割りをやらされてお金を稼いだり。

あの時はとにかく無我夢中でしたね。あまりにもお金がなくて、どこかの国で有吉が出発時に着ていた毛皮のコートを売ったら、意外にも高値をつけてもらえたんですが、後で放送を見たら買い取ってくれたお店の方から『赤ちゃんのオムツのような匂いがする』と言われていたのを見たときは爆笑しました(笑)。

有吉はグイグイ行くタイプで、俺は止める役。まさにアクセルとブレーキの関係でしたね。