チャートで1位から5位まで独占
ちなみに94年の段階で、小室の目の前で〝ファミリー〟という単語を発した人物がいる。
『HEY!HEY!HEY!』のMC、ダウンタウンの松本人志だ。
番組に小室と篠原涼子が出演した際、浜田雅功が「小室さん、ミリオンお願いします!」と頭を下げ、自らをプロデュースするように要望。そんな浜田に向かって松本は「うちらは坂本龍一ファミリーやないか」とツッコミを入れた。
この年の夏、ダウンタウンが「GEISHA GIRLS」の名義で、坂本龍一プロデュースでCDを出していた流れがあったのである。その時、松本の脳裏に浮かんでいたのは、80年代に存在した〝横浜銀蝿ファミリー〟や萩本欽一の〝欽ちゃんファミリー〟といった「絶対的なトップがいて、そのもとに様々なタレントが集まる」という構図だったのかもしれない。この時小室は、自身のプロデュース業について「trfと篠原涼子で手一杯」と語っていたが、松本が発した「ファミリー」化するまでに時間はそうかからなかった。
95年に小室ファミリーが出そろい、96年の4月には小室プロデュースのアーティストがオリコンシングルチャートで1位から5位までを独占するに至った。そして97年1月1日には小室ファミリーや小室に楽曲提供してもらった歌手が集結したTK PRESENTS こねっとによる『YOU ARE THE ONE』を発売。
小室プロデュースのシングルで最後のミリオンセラーとなった華原朋美の『Hate tell a lie』が発売されたのはこの年の4月。そして翌98年、小室プロデュースの作品が年間シングルチャートでトップ30以内にひとつも入らないという衝撃の結末を迎えた。
2017年、『マツコの知らない世界』(TBS系)に出演した小室は、引退を考えさせられるほど衝撃を受けたアーティストとして宇多田ヒカルの名をあげた。宇多田のデビューは98年の12月。従って「宇多田の登場により、小室中心のチャートが塗り替わった」のではないことを伝えておきたい。
またこの時、90年代のライバルとしてシャ乱Qの「つんく♂」をあげていたが、モーニング娘。が国民的なブレイクを果たす『LOVEマシーン』の発売は99年9月。こちらもやはり「つんく♂が小室ファミリーを倒した」とするのは正確ではない。
98年はTRF(96年にtrfから改名)がセルフプロデュースに移行、華原朋美のプロデュースも最後となり二人の仲は破局。鈴木あみ(現・鈴木亜美)がデビューし、怒濤のシングルリリースをするもミリオンには遠く及ばず。この事実から「小室ファミリー全盛期」は94年夏から97年までの3年強といえる。小室ブームを終わらせたのが宇多田でもつんく♂でもないならば、いったい誰なのか?













