すべてを変えていった“女子高生”の登場
バブル80’sに青春を過ごした世代がジュリアナ東京で“最後のパーティ”に明け暮れていた頃、若者社会ではひっそりと地殻変動が起こっていた。
1992年頃になって頻繁に話題に上ることが多くなった“女子高生”の登場だ。
“高校生の半分”である彼女たちは、女子大生やOLを蹴落として消費や流行の中心に躍り出る。さらに若者社会の主導権という意味でも、それまでの20代の社会人からの低年齢化を促した。
しかも高校生としてではなく、“女子高生”として握ってしまう。ここで重要なのは、本人たちが自分自身を“女子高生”として意識していたということ。
放課後の渋谷に集まる高感度な彼女たちは、自分たちに十分な商品価値があることを知っていたのだ。
この“女子高生”は何も突発的に生まれたものではない。その源流は1980年代半ばに見ることができる。
その頃、東京の高校生が渋谷の街を舞台に独自の流行や現象を生み出し始めた。先導したのは「受験なし・都心在住・経済的余裕」といった“遊べる環境”にいた男子付属高生たち。団塊世代の親の影響もあってアメリカナイズされた文化に慣れ親しんでいた。
例えば、当時話題になったアメカジや渋カジやキレカジなどの男女共有のカジュアルファッションはすべて彼らのアンテナで広まったもので、決してファッション雑誌やTV番組が発信したものでない。
「流行はメディアではなく自分たちが作る」という点は、まさに街発信カルチャーの原点であり、渋谷発のハイスクール・スピリットの幕開けとも言えた。
そして男子校ゆえに異性と出会う手段としてのディスコパーティがブームになり、学校単位で仲間の証としてのチームが続々と生まれていった。制服のモデルチェンジも盛んに行われて女子校人気が高まったのもこの頃だ。