「テツ」でコンプレックス除く藤本定義監督

藤本定義さんが阪神の監督をしていた頃の姿は記憶にあるが、まさに「おじいちゃん」という風貌だった。当時まだ60歳そこそこだったことに驚く。

藤本さんは巨人の初代監督。16歳下の川上哲治さんは当時の選手。阪神監督時代は、グラウンドで巨人の川上監督を「おい、テツ!」と呼び捨てにしていた。

これを見ていた阪神の選手たちは、いつも巨人の選手を格上だと感じていたが、その劣等感がなくなった。藤本さんは、「巨人コンプレックス」を取り除くために、わざとそういう態度を取ったことが知られている。

この手法をのちの監督たちも参考にした。

ヤクルト監督時代の野村克也さんは、記者と懇談するたびに当時巨人の監督、長嶋茂雄さんの悪口ばかり言っていた。ヤクルトの選手は、「うちの大将は長嶋さんより偉いのか」と感じただろう。

やはり阪神監督時代の星野仙一さんも、当時巨人の監督でNHK解説者時代の後輩だった原辰徳をグラウンドで「タツノリ!」と呼び捨てにした。

実際、長い低迷期の間ずっと、阪神は巨人にまったく歯が立たなかったが、意識が変わったのか巨人に勝ち越し、リーグ優勝した。

写真はイメージです 写真/Shutterstock
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「レジェンド親分」鶴岡一人監督

私が南海ホークスへと移籍したときは、すでに野村克也捕手兼任監督の時代だった。球団を去った鶴岡一人さんはチームから距離を取っていたが、それでも球団にいる誰もが鶴岡さんを「親分」と呼び、慕っていた。

この親分という呼び名は、「オヤジ」をさらにグレードアップさせたもの。野球よりも任侠の世界でおなじみだ。鶴岡さんがいかに尊敬を集めて、チームの皆が忠誠を誓っていたかがわかる。

一方、当時の野村監督は、のちに夫人となる野村沙知代さんに魂を持っていかれて、公私混同事件の真っただ中。その対比の中で、鶴岡さんを慕う心がより強まっていたのかもしれない。

南海OBの大沢啓二さんが、その後ロッテや日本ハムで監督を務めると、「親分」と呼ばれるようになった。

しかし、南海ОBや関係者には「親分は鶴岡さんだけ。ふたりはいらん」と言う人も多かった。鶴岡さんは、それだけ徹底して「子分」の面倒を見た人で、いつまでも「子分」から慕われていたのだ。