「カタカナ語=絶対悪」ではなく、共通認識の有無が重要

本書の内容を連載していた雑誌「Web Designing」(マイナビ出版)、その誌面に掲載されていた一節をまず紹介しましょう。同誌は、「Webのデザイン・設計・構築」に関する情報誌であり、その誌面には幾多の、否、おびただしい数(!)の英語・外来語・カタカナ語が記載されています。

このディメンションとメトリクスの違いと役割を理解していれば、標準レポートは格段に使いやすくなります。たとえば、トラフィックの流入元を示すディメンションと、ユーザーの利用しているデバイスの種類を示すセカンダリディメンションを追加することで、2つのデータを比較しながらユーザーがどのデバイスをどのような使い方でサイトやアプリにアクセスしてきたのかを、より詳細に把握できるようになります。(「Web Designing」 2023年6月号より)

全223文字中、カタカナが70文字。

文系脳の私にとっては、アラビア語やタガログ語くらい難解ですが、これは、「Web Designing」というある意味閉じられた空間(雑誌と読者の関係が築けている場所)で発信する情報だからこそ許されている表現です。

それぞれが「Google Analytics 4」のツール・機能を表現する名詞であり、そこを無理やり翻訳して日本語にしてしまえば、読者の理解度は逆に著しく損なわれてしまうでしょう。すなわちこれは、大正解。「理解度を上げるため」にカタカナ語を使っているという事例です。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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では次のような文章が企業のWebに掲載されていたらどうでしょう。

当社のCSRは、各ステークホルダーに対し、厳密なコンプライアンスとコーポレートガバナンスの徹底を行うことがベースにあると考えます。そのためにまずは、サプライチェーンをクリアにする必要があり、同時に各ファクトリーと緊密なパートナーシップを築いてまいります。

恐ろしい。ここまで豪快でなくとも、昨今こうした「カタカナ語の洪水」は結構ありがちだと思います。大切なのは、カタカナ語を使うことが「共通認識下で理解を促進するか」、それとも逆に「直観的な理解を妨げるか」という判断です。

本書の読者は企業において何らかの情報を発信する立場の人が多いはず。ならば、この前提を特に強く意識しないといけません。

なぜなら、その情報を目にする読者は、必ずしも発信者と同じリテラシーを有しているとは限らないからです。あっ、「リテラシー」とか言っちゃいました。これは果たして本書で使うべきカタカナ語なのでしょうか。