住民から食料を略奪しなくてはならない状況でも戦闘を続けさせた日本軍のあやまち

 たとえば沖縄戦で住民から食料を奪った兵士がいます。中国では日本軍がさんざん略奪をしました。でも、なぜ略奪をするかというと、軍が兵士たちに食料を供給しないからです。兵士たちは生きていくために食料を自分で調達するしかない。でも中国の農民たちも貧しいですから、渡したら自分たちが餓死するから抵抗する。すると略奪と同時に虐殺もするわけです。あるいは強かんもする。

これは兵士がひどいというよりも、兵士にそういうことをさせている軍という組織のあり方が問題なんです。沖縄戦のときも、兵士が自分たちの食料がなくなって、住民から食料を奪わざるをえないような状況というのは、もう戦争としては完全に負けているのです。本来であれば、その前に軍司令官が降伏すべきなんです。

この本には書いていないんですが、戦争の初期に日本軍がマレー半島からシンガポールに上陸します。シンガポールにいたイギリス軍は日本軍に降伏しました。

その大きな理由が、シンガポール中央部にある水源地を日本軍に取られたからです。するとシンガポールにいる英軍兵士たちにも市民にも水が来なくなる。それで「これはもうダメだ」と、その段階で降伏したのです。まだ水が不足しているわけではない状態ですが、「水源を日本軍に取られた以上、これ以上、戦闘を継続すると兵士にも市民にも犠牲が出るので、もう戦争をやめて降伏する」と決定した。非常に常識的な判断だと思います。

これに対して、沖縄戦のときの日本軍が、兵士に食料を渡せないような状況というのはもうダメなわけで、降伏すべきでした。常識があって降伏していれば、兵士が住民から食料を奪うなどということは起こらないで済んだ。だから、兵士を別に弁護するつもりはないですが、兵士に略奪をさせてまで「死ぬまで戦え!」と命じた組織のあり方が問題なのです。

従来の歴史学でも歴史教育でもそうですが、戦争について語るときに単に「戦争が悪い」「戦争は嫌だ、やめましょう」ということしか言っていない。しかし「人にそういう残虐なことをさせた、人をおかしくさせた要因は何なのか」「実は社会や組織のあり方に問題があるんじゃないか」という分析をきちんとやるべきです。

先ほど前川さんも戦前、戦中の日本のあり方が戦後も引き継がれているとおっしゃっていましたが、実際そういう組織のあり方、社会のあり方自体を引き継いでしまっている。その組織のトップ、指導者たちがそのまま生き延びてしまった。でも組織や社会のあり方が変わってしまえば、かつてのトップはトップではいられなくなるはずなんです。その問題をちゃんと考えないといけない、ということも、この本を書く際にかなり意識しました。