学校の先生が忙しすぎて本を読まない

 歴史教育に関して、以前は「日本では現代史の教育がきちんとされてない、現代史になる前に終わってしまう」という言い方がよくされていたんですが、その後、必ずしもそうではなくなってきました。たとえば大学入試でも、いろんな大学で意識的に現代史を入試問題で出しているケースが多くて、それなりに現代史の部分を勉強しないと受験に合格できない、という状況が生まれてきています。

ただ問題は、仮に教科書で現代史を勉強したとしても、そこで何を理解しているのかです。つまり、教科書に書かれているいろいろな項目はわかっているにしても、その歴史的背景や意味をどれだけ理解しているのか。

今、学校の先生が非常に忙しくて、本を読まなくなっていて歴史の本も読まない。そうすると、仮に教科書に載っていてそれが一応教えられているとしても、どこまで深く教えられるのか、学べるのか。時間をとって、たとえば沖縄戦とか、現代史の戦争の問題を深く教えられるのか。現代史を扱っているけれど、それを深く掘り下げて学ぶことが難しいんじゃないか。

前川 本当はそこが大事なのに。

 ええ。だから今回の私の本でも、たとえば「日本軍の兵士がこういうひどいことをした」と書くと、「なぜその兵士の人間性を全面的に否定するのか?」「なぜ悪口しか言わないのか?」という批判が必ず出てくるんです。

でも、人というのは多様な側面があって、たとえば家庭内暴力の問題を見ると、夫が妻に対して暴力をふるうのはひどいことです。でもそういう男性は大抵、外ではすごくいい人、優しい人だとまわりに思われていたりする。だから妻が「夫がこんなひどいことをした」と言っても、なかなか信用してもらえない場合があります。

しかし人にはいろんな側面があって、ある悪いことをしたから、「その人が全面的にひどい人間だ」というわけではなくて、ある人には親切にするけれども、ある人にはすごく差別的なことをする。民族差別でもそうですが、差別をする人間が全面的にひどい人間かというと、たとえば自分の家族とか友人に対してはすごく親切であったりする。ところが、ある集団、人々に対してすごく差別をする。

つまり人はいろいろ複雑な多面性を持っていて、そういう人を「全てダメだ」と全否定したり、「全て立派な人だ」と全面的に肯定したりするのではなく、人のいい面をより育て、奨励するような組織のあり方、社会のあり方を作っていく必要があると思います。人間のひどい面ができるだけ抑えられるような組織や社会を。

この本の中でも書きましたが、日本軍兵士は軍という組織が機能しているときには本音を言えなかった。でも軍の組織が解体すると「生きたい」とか、本音を言えるようになるわけです。ですから、兵士が行った悪いことを書いても、決して「その人が悪人だ」とか、「残酷な人間だ」と言っているわけではなく、そういう、人のひどい面を増長させるような組織のあり方こそが問題だ、ということです。