宮本の見事な法廷での口頭弁論
ここに至り、重大な事柄を今後も一方的に決められ続けることに対して不信感を持った選手会は訴訟に踏み切った。
2002年8月にプロ野球ゲームソフトのライセンスに関して、2005年6月には球団が管理しているプロ野球カードの肖像権についてそれぞれ訴えを起こしたのである。
野球カードについては、選手に分配すらしていなかった球団もあると言われている。その後、選手会はコナミと和解。NPBとコナミの契約切れに伴い、訴訟相手は球団となった。
原告は会長の宮本を筆頭に選手会に属する巨人・高橋由伸ら選手34人、被告は所属球団にそれぞれ変わった。宮本慎也はヤクルトを、高橋由伸、上原浩治は巨人を、井端弘和は中日を、今岡誠は阪神を、松坂大輔は西武を、小笠原道大は日本ハムを訴えるという図式である。
先述した米国での司法判断、そして日本で明記された統一契約書16条の条文の中身を吟味すると、球団は「宣伝目的」であればいかようにでも使用できるという意味はあくまでも球団の宣伝に関するもので、選手の肖像を事前承認も無く商品化するライセンスではないという解釈であった。
2007年夏、シーズン中であるが、宮本は肖像権を侵害された当事者、原告として知財高裁の証言台に立った。そこで米国選手会の事例、独占禁止法違反の嫌疑について語った。
2003年4月、公正取引委員会はコナミに対して選手を実名で登場させるゲームの商品化許諾権を独占して他社の参入を不当に妨害した疑いがあるとして警告を行っている。
宮本は統一契約書の制定経緯など歴史の部分から調べた上で、自身の見解を述べた。
人間にとって固有の氏名、肖像は自分のものである。そして選手たちが納得できないうちに自分の実名や顔や姿をビジネス転用されることに、いかに誇りが傷つけられているかを主張した。これはプライドの問題でもある。
「選手のために訴えたい思いは明確にありました。ただそれを法廷で伝えるには専門性が求められます。とにかく何日間かかけて必死に頭に入れました。ただ、ルールについてその成立の過程から学んで頭に入れられたのは、自分の言葉で語る上で良かったです」
制定経緯などを頭に入れて、裁判前日には、こう聞かれたらこう返すという想定問答を何度も繰り返した。
入念に宮本と打ち合わせをして法廷に送り出した顧問弁護士の山崎卓也はその姿勢を「何事に対しても物凄くプロフェッショナルとしての意識が高い。初めて公開法廷で口頭弁論に臨むのは誰でも緊張も委縮もしますが、堂々と論点を主張していて法律家から見ても満点でした」と高い評価で見ていた。
「アテネ五輪日本代表のキャプテンの経験から『宮本のリーダーシップは凄い』という声は、以前から選手の間でも上がっていて。それゆえに古田さんのあとの会長を誰がするのかという議論になったときも、早くから彼の名前が挙がっていた。
宮本はプロ意識とコミュニケーション能力、そして責任感に特化した選手会長だった」
50歳を超えても現役を続けているサッカーの三浦知良がブラジル時代の選手会とプロ意識のことをブログに書いた文章がある。
「選手個人では太刀打ちできない事柄がある。だからブラジルではよく選手会で集まり、声を束ねた。『胸スポンサーを露出しているのはピッチ上の俺たちだ。その報酬の一部を受け取る要求をしたい。どうか』。
割合は微々たるものであっても、勝ち取れたことがある。そのブラジルから1990年に帰ってきたとき、日本では『代表選手の権利』という概念すらなかった。だから僕は訴えた。あるべき勝利給、待遇。それらは後に、お菓子やカードに使われる選手も肖像権などへつながっていく。
権利をかけて戦った経験がなければ、自分の権利という発想すら思い浮かばないかもしれない。何かを言われ、言われるがままを当然とするのはむなしい。契約書をしっかりとみる、人まかせにしない、言うべき事はいう。プロだもの、その意識は忘れずにいたい」(2021年6月3日)
これは宮本のプロフェッショナリズムに通じていた。
文/木村元彦













