守ろうとした選手の肖像権 

宮本は要求をただ掲げるだけではなく、前に進むためには選手も痛みを共有しようという姿勢を貫いた。

2005年末の選手会総会では、年俸1億円以上の選手の減額制限を、これまでの30%から40%に引き上げることを承認している。経営者側からの減額要求は50%だったが、これを40%として早めに妥結させ、スピーディに他の事案を審議して行こうという意志の表れであった。

特筆すべきは、選手の肖像権に関する闘いであった。これまで選手の肖像権は一括して球団に管理されていた。統一契約書の第16条(写真と出演)にはこうある。

「球団が指示する場合、選手は写真、映画、テレビジョンに撮影されることを承諾する。なお、選手はこのような写真出演等にかんする肖像権、著作権等のすべてが球団に属し、また球団が宣伝目的のためにいかなる方法でそれらを利用しても、異議を申し立てないことを承諾する」

この統一契約書の条文自体、米国メジャーリーグの規約を輸入して参考にしたものであるが、その米国では、ニューヨーク・メッツの選手が起こした肖像権訴訟で球団が使用できる「宣伝目的」の意味が明確にされるなどにより選手の権利が広く認められている。

曰く、「宣伝とは、試合の告知ポスターなどを意味しており、グッズなどの商品化は含まない」というものであった。

そこでメジャーでは、この商品化における肖像権を選手会の管理として、大きな財源とした。MLPBA(メジャーリーグベースボール選手会)を世界最強の労働組合に育て上げた剛腕選手会事務局長マービン・ミラーの功績である。

ところが、日本では1951年に制定された統一契約書の解釈が曖昧なまま、肖像権がすべてにおいて選手の手から離れてしまっていた。

選手の肖像権奪還のために証言台に立つ

極めて象徴的な事件が2000年に起きた。NPBがこの年の4月から3年間、ゲームに関する選手肖像権を3億円でコナミに独占させる契約を結んでしまったのである。

選手会に正式な報告が入ったのは、なんと契約が結ばれて半年以上が経過した後、独占契約の期間がスタートしてからだった。選手には知らされておらず、当然、その実入りは低い。

NPBが20%の手数料を取り、そこからさらに分配の割合を球団に一方的に決められて、その割合は「球団6」で「選手4」であったという。何より一社に独占させてしまったことから、自由競争が出来なくなる。これは野球ファンに対する背信とも言えた。

選手会は、少なくともゲームに使用されるような名前や肖像などに関する権利は自分たちに帰属させることをNPB側に主張する。チームロゴやユニフォームについては球団側のラインセンスとして、互いにすみ分けをするという提案である。何度も話し合いがセットされたが、受け入れられなかった。