巨人・清武代表との定例会食 

まずはドラフト制度。前年から2年間の暫定措置ということで導入されていた新ドラフトによる希望入団枠制度は、自由競争である分、契約金にコストがかかり過ぎていた。

ドラフトの改革については、構造改革協議会という委員会が立ち上げられて議論が重ねられていたが、宮本は2006年4月の経済界のインタビューで次のような発言をしている。

「この枠で選手を獲得するためには、高額な契約金が必要になります。過去にはこれだけで足りなくなるケースも珍しくありませんでした。

リーグ戦は資金的に潤沢な1、2の球団で成り立つものではありません。中小クラブに対する合理的な戦力補強を認める意味でも、希望入団枠に代わり、その年の下位球団から順番に指名していく完全ウェーバー制を導入するほうが妥当ではないかと思います。

選手会ではこのほか、強いチームは高校生を先に獲得でき、弱いチームは即戦力の社会人から獲得できるといった改革案を提案しています」「選手会では、まずは戦力の均衡から始め、長期的なプランでは世界に通用するようなチームをつくることを目標にしています」

選手会としては球団経営の観点も取り入れた上で、その年の公式戦で順位が低かった球団から順番に指名できる完全ウェーバー方式を要求し、戦力の均衡も念頭に置いていた。

そしてセットとして提案したのが、FA権取得期間の短縮である。ウェーバーで球団の負担を軽減するが、それだけであれば、入団する選手の希望が叶えられないケースもある。それについてはFAを早めることで好きな球団に行ってもらう。ウェーバーとFAをリンクさせての交渉であった。

清武代表との1対1の会食

当時、交渉相手となる選手関係委員会の委員長は、巨人の清武英利代表であった。

読売新聞社
読売新聞社

読売新聞社に記者として入社以来、社会部畑を渡り歩き、次長時代に山一証券の破綻をスクープしたことで知られる清武は、当時は巨人軍球団代表として強引な強化に頼らない生え抜きの選手育成に尽力し、その手腕が他球団からも評価されていた。

宮本は会長に就任後、しばらくすると清武と2か月に1度の割合で1対1で会食をするようになった。

「僕は事務折衝に何回か出たときにこのままでは、なかなか話がまとまらないと感じたんです。双方で譲歩するにしても結局、話を持ち帰って次回にまたやりましょうとなってしまう。

それなら、根回しではないですが、担当の清武さんとサシで話し合って、『次回にこれを持ってきてください、僕も選手会の意見をまとめてきます。その方が次の事務折衝がスムーズにいきやすい』と伝えて、それから対話していきました」

選手の現役寿命はあまりにも短い。宮本は改革にスピードを求めていた。清武も同意し、会食は定例化していった。食事代は徹底して割り勘であることにこだわった。

後に渡辺恒雄読売グループ会長の専横を告発する「清武の乱」を起こすことになる清武は、交渉事においても情熱的だった。ときに杯を交わしながらも宮本は冷静に人物を見ていた。

熱血漢で「野球界のために」という部分では、多くの部分を譲ってくれる。ただ、やはり、最終的な落としどころとしては、ジャイアンツに得をさせたいという気持ちは垣間見えた。そこを突こうとすると、途端に清武は機嫌が悪くなった。