もう「名医」はいらない

医師の診断精度は経験や知識に左右されます。しかし、AIは膨大なデータから学習し、常に最新の医学知識を取り入れます。疲労や感情に左右されず、昨日飲みすぎたとか、恋人と喧嘩して落ち込むことも(まだ)ありません。24時間、365日安定した診療を提供できるのです。

もちろん、医療にはAIだけでは代替できない人間的な側面も存在します。しかし、診断や治療計画といった領域では、AIがその能力を最大限に発揮するでしょう。AIが医師の「道具」から「パートナー」へ、さらには「主役」へと変化していく過程は、すでに始まっているといっていいでしょう。

そもそも、「名医」とはどういう医師のことだと思いますか?

こう質問すると、おそらくかなりの割合の人が、医療ドラマに登場するような、膨大な医療知識に加えて独特のひらめきや観察力を武器に診断を行う医師、あるいは「神の手」と評される天才的な外科手術のテクニックを持つ医師をイメージするのではないかと思います。

少し前にヒットした医療ドラマに『グッド・ドクター』という作品がありました。このドラマの主人公に設定されたのは、一度読んだ医学書はすべて暗記してしまう驚異的な記憶力を持ち、また鋭敏な観察力も持つサヴァン症候群(発達障害に伴って現れる、特定分野に突出した能力を持つ症状)の青年医師でした。

この主人公が患者と対峙すると、同僚医師たちは気づかない病変にいち早く気づき、彼の頭脳にインプットされている膨大な医学知識のなかからベストの治療法を選択して治療してしまうのでした。

現実にもこのタイプの「名医」はいます。薬の名前や用量も、珍しい病気の種類もよく記憶していて、その引き出しからすぐ出せる医師が大きな価値を持つ時代はありました。

「あ、A薬なら5㎎で朝晩ね。これ、評判いいよね」というような。

これまでは記憶力に優れた医者は「名医」と呼ばれる時代だったが… 写真はイメージです(PhotoAC)
これまでは記憶力に優れた医者は「名医」と呼ばれる時代だったが… 写真はイメージです(PhotoAC)

これが一種の「名人芸」化し、そういった知識が多い医師ほど「名医」と呼ばれる傾向はありました。外科医の場合は、手先が器用で手技に長けた人が「名医」と呼ばれるイメージが一般には強いかもしれませんが、実際の外科手術も外科的な知識や過去の手術経験で学んだ経験則が一般の人が思うよりもずっとモノをいう世界です。

しかし、「名医」という概念は、AIの台頭によって変化を余儀なくされます。AIは数百万の症例データから学習し、人間の医師が一生かけても経験できない量の症例を分析できるからです。

名医の知識や経験は個人に属するものでしたが、ことAIとなると、知識はシステムとして共有され、複製がたちどころに行われます。一部の恵まれた患者さんだけでなく、すべての患者さんが「名医」の診断を受けられる時代が来るのです。