新聞見出しからの脱却
記事の組み立てをどうすべきかは、大体見えてきた。ごく簡単に言えば「週刊誌+共感」であり、そのためには本文を説明文ではなくストーリーにすることだ。
ただ、本文以外にもう一つ考えなければならない点が残されている。見出しの付け方だ。PVという観点だけなら、デジタル記事では本文と同じぐらい大切かもしれない。「ネットで読まれるかどうかは見出し次第」と言い切ってしまう人もいる。
どう見出しを付けるべきか、プラットフォームに並ぶ記事を眺めてみる。まず気付くのが、PV数が多い記事には、大げさな見出しが付いていることが多い点だ。
扇情的だったり、おどろおどろしかったり、エロを連想させたり……見出しを眺めていると、傾向はなんとなく見えてくる。
たとえば、日本のスポーツ選手が海外で評価されていると、「絶賛」という見出しが付きやすい。だが、記事本文をよく読んでみても、多少褒められてはいても絶賛とはほど遠い。裏切られたような気持ちになるが、それでもこうした記事を出す側にとっては、本文に誘い込めた段階で、成功と考えているのだろう。
それでも、「褒められたこと」を「絶賛」と書くのであればまだましなのかもしれない。「SNSで称賛相次ぐ」というある記事には、カギカッコ付きで称賛が並んでいたものの、実際にSNSで検索をかけると賛否両論が入り交じっていた。
現実と記事、見出しがかけはなれており、記事の信用性そのものが疑わしくなる。それ以外にも、おどろおどろしい見出しと裏腹に本文は平凡という記事もある。本文との整合性が取れないこうした見出しは、「釣り見出し」と呼ばれている。
まねようと思えばある程度はまねられると思ったが、こんな形でPVを稼いでも、トータルではマイナスではないかと感じた。実際、私もあるメディアの釣り見出しを2回ほど、文字通り釣られてタップしたことがある。
本文を読んで「引っかかった」と思い、だまされたような感覚に陥った。その後は、見出しに惹かれてもそのメディアの名前があると、決して開かないようになった。
「釣り見出し」を付けるようなメディアは、1、2本の記事でPVを稼ぐことができたとしても、長い目で見れば信頼性、ブランドを損なうことにつながりかねないだろう。