「お付き合いした男性はすべてお店のお客様」
それは銀座を訪れる男性にとっては甘美な響きだが、水口さんは「寂しさ苦しさを隠し、笑顔でお客様を迎えるのが銀座の女性」だという。
「『眉』に勤めていた時はお客様と交際する時は必ずママに一報入れる必要がありました。お店を独立してからも、お付き合いするのはすべてお客様。
いろんな方とお付き合いしましたけれど、やはり皆様、帰る家と奥様がいらっしゃいますから、別れの言葉もなく自然消滅、そんなことの繰り返しでした」
しかし30代から20年間、お付き合いした男性とは違った。
「もちろん不倫なのでつかず離れずです。だけど生涯を共にするなんて勝手に思ってしまっていました」と笑う。
「この方とは彼が自宅以外で用意した部屋と、私の部屋とを行き来する付き合いでしたが、その当時の私にとっては、恋愛よりも仕事が第一優先でしたので、彼が『今日は部屋でゆっくりしないか』といってくれた時も断ることがありました。
放っておいても、別れるわけはないと思っていたので。38歳のとき、子宮がんで子宮を全摘してからは結婚はともかく出産はあきらめていましたし、その寂しさを忘れるように仕事に熱中したのです」
不倫は決して許されることではないが、強い想いを抑えることができないこともあるのが人間だろう。その後、立て続けに卵巣がんを患い卵巣の半分を摘出する中で、水口さんの中で変化が起こる。「やはりこの人と一緒になりたい」と。
「それまでは『愛人でいられるだけありがたい』という考えから欲が出て『離婚してほしい』なんてつい言ってしまった。そのうちどんどん険悪になっていったのです。
彼が私の部屋にいる時に、つい帰したくなくてスーツを湯船に投げ入れたら頬をピシャッと叩かれました。バカよね、女って。叩かれたのに、ますます好きになっちゃって」
水口さんの燃え上がる思いとは裏腹に、男性の心は離れていった。
「彼の部屋に行くと、明らかに他の女性と思われる物を置いたままにされているんです。これみよがしに。彼も歳をとったけど、私も歳をとった。その時、私は50歳です。結局、若い女性に取られたのです。『別れよう』と言われ『私だってあんたなんて目じゃないわ』と強がるのが精一杯でした」
水口さんにとって、人生最大の大失恋だった。それでも新たな恋はすぐにでも訪れると思っていたが、訪れなかった。
「50代になってから、とんと男性からは見向きもされなくなり、恋愛対象から外された感覚がありました。女としての自信も失い『銀座ではもう生きていけない』と、この時初めて、銀座からの引退を考えたほどです。
故郷の鹿児島に蕎麦割烹を出して、軌道に乗ったら鹿児島で隠居しよう、なんてことも考えましたが、それも形になりませんでした」