「日本国内のあらゆる習慣が変わったことが、最後のトドメとなりました」

店の名付け親は丸谷才一氏で、案内状などは渡辺淳一氏や重松清氏が書き、店内には荒木飛呂彦氏の作品が飾られるなど、多くの作家や漫画家に愛された『ザボン』が8月末で店を閉じた。

オーナーの水口素子さん(79歳)はこれまで店を拡大すべく4回の移転を重ね、2021年に新装開店したばかりだった。

「78年に開店した最初の店は3坪の小さいお店ながらサントリーの故・鳥井信一郎さんが『ザ・グレンリベット』を仕入れてくださり、『小さいが良い酒を置く店』として多くの経営者や編集者に来ていただきました。

芥川賞の選考会が開かれた晩は受賞者を迎えて祝賀会を開くのが恒例で…。これまでバブル崩壊にリーマンショックと大きな危機を乗り越えてきましたが、コロナ禍で日本国内のあらゆる習慣が変わったことが、最後のトドメとなりました」

水口素子さん(撮影/集英社オンライン)
水口素子さん(撮影/集英社オンライン)
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3度目の移転先となった店舗は建物が存続する限り契約更新するつもりでいたが、突然「耐震上の理由」から取り壊しが決まり、移転することに。

「時期が本当に悪かったと思います。もともと、次に移転することになるとしたら内装はNYの老舗バー『キング・コール・バー』を参考にしようと写真をたくさん撮っていました。

コロナ禍直後でもお客様は来てくださるだろうと内装をこだわり、2021年11月29日に心機一転再オープン。でも、コロナ禍の影響で世の企業は交際費に価値を見出さなくなりました」

店のお得意様の大手企業のほとんどで交際費が使用禁止になり、編集者が作家を連れ出す習慣もなくなったことが大打撃となった。水口さんは「まさかお客様が一人も来ない日が来るなんて思いもしませんでした」と力なく言う。

「また今日も暇だったわ…そんな日も多かったですし、お客様が1組も来なかった日は本当に絶望しました。毎日祈るような気持ちでお客様が戻るのを待ちました。

毎月の赤字にもなんとか耐え忍んで参りました。でも今年2月に某作家先生に言われたのです。『もう期待しないほうがいい』と。その言葉で徐々に店を手放す態勢に入りました」

お店には数々の著名人が訪れた証が飾られている(撮影/集英社オンライン)
お店には数々の著名人が訪れた証が飾られている(撮影/集英社オンライン)

最終的に店の解約を決めたのは4月末。閉店することは同じ銀座にある文壇バー『銀座 クラブ数寄屋橋』の園田静香ママにも伝えた。

「『あのね、私、辞めるって決めた』と話すと、園田さんが『辞めないでよ、寂しいわ、私は生涯やるわよ』と鼓舞されましたが、私の決断は揺るぎませんでした。それで5月に店の解約をしたのです。

恥を忍んで言いますと、50年間ずっと着物で過ごしてきたものですから、足袋のせいで外反母趾が悪化して、去年からそれがひどく痛むようになりました。合わせて膝や太ももも痛くなって。50周年までのあと3年を頑張ろうと思えなくなった大きな理由のひとつです」