「出産はもちろん結婚は職業の宿命として諦めたんです」

同じ銀座の文壇バーでも活路の見出し方はそれぞれ違った。『数寄屋橋』は新規客を開拓したようだ。なにが明暗を分けたのか。

「園田さんとはよく電話でもお話して銀座のママの中でも一番仲良しなんです。お客様がどうなんてことはお互い聞きませんけど、大企業さんではないけれど、勢いのあるIT系の新しい会社さんの方が来てくださるようになったと聞きました。

うちは新規オープンした際に、それまで絶対に入れなかったカラオケの導入やWi-Fiを完備にして、昼間は句会やサークルの会合、会議室の代わりに店を使えるよう新しい試みもしましたけど…うまくいきませんでしたね」

若かりし頃の水口素子さん
若かりし頃の水口素子さん

銀座で生きてきた50年、水口さんは結婚や出産は経験しなかったが、婦人科系のがんを2回経験したことが大きかったようだ。

「30代に入ってから20年間、ずっとお付き合いしてきた方がいました。銀座の女ですから、銀座以外で出会いなんてあるわけがありません。もちろん年配で立場のあるお客様となれば当然、不倫です。

銀座にはお客様の子どもをひっそりと産むママやホステスはたくさんいましたが、私はそうはなりませんでした。38歳のとき子宮がんで全摘出し、40代で卵巣がんを患い、半分摘出したからです」

(撮影/集英社オンライン)
(撮影/集英社オンライン)

だが、水口さんには幼少期から「エリートと結婚すること」が夢だった。銀座で働くきっかけも「ここでならあらゆるエリートに出会える」こともひとつの希望だったのだ。

「それを伊丹十三先生に言ったら『銀座の女は不幸の影がないといけない。あんたが幸せな女なら、いったい誰がこの店に来るんだ』と言われ、出産はもちろん結婚も職業の宿命として諦めたんです。

でもね、先ほど申し上げた20年付き合った方とは、結婚はしなくてもずっと一緒にいるものだと思っていたんです。バカでしょう、私って」

不倫は許されるものではない。だが強い恋愛感情や手に入らないものへのどうしようもない執着、それらが起こり得ることは銀座に限らずどの世界でもあることだ。

後編では水口さんの20年間にわたるただならぬ恋、その代償など、銀座の女の生き様を聞く。

取材・文/河合桃子 集英社オンライン編集部ニュース班