出版社から「キャプテンレコード」誕生
雑誌というメディアが一方通行だったこの時代において、『宝島』は異質なメディアだった。
関川(編注※関川誠、宝島社社長、元『宝島』編集)が「共犯関係というか、密なやりとりをしてたような気がするのね、雑誌と読者が」と語るように、読者は単なる消費者ではなく、参加者でもあった。それを象徴するようなイベントが企画される。
1985年の8月18日。新宿駅東口ステーション・スクエア(駅前広場)に設けられた特設ステージで、JICC出版局が手がけるキャプテンレコードの発足記念フリーコンサート『好きよ‼ キャプテン』が開催された。
当時は『笑っていいとも!』でおなじみだった新宿アルタとステージの間は、大きな緑地帯と歩行者天国となった6車線の道路。この空間すべてが、ロックファンで埋め尽くされることになった。
自身もいちスタッフとして、このコンサート会場のバックステージで働いていた関川は語る。
「キャプテンレコードからは最初にウィラードをリリースすることが決まっていて、レーベルの周知を促すためのコンサートを企画したんです。だけど、こっちは出版社なのでイベントのノウハウもなかったから、当時のインディーズバンドのライブを仕切っていたPCMという会社に協力してもらいました。
彼らが、『新宿の東口広場でギグをやりませんか』って提案してきたときは驚きましたが、『あそこが使えるんだったら、やろうよ』と乗ったんです。フリーコンサートで8000人くらい集まり、大変なことになりました。真夏だったから、ライブの合間に近所のビルや店にパンクスが大挙して涼みにいっちゃったりして、たくさん抗議もきましたけど」
炎天下の午後1時。メンバーに『宝島』編集部員も入ったキリマンジャロスがテーマ曲の『好きよキャプテン』を演奏し、ライブはスタートした。続いて有頂天が新曲の『心の旅』を演奏。名古屋のツインボーカルバンド、ローズ・ジェッツが登場したころ、聴衆は5000人を超えた。パパイヤパラノイア、ガスタンク、キャ→、コブラと人気バンドが続々登場すると、観客は加速度的にふくれあがり、7000人を突破した。
テントでつくった控室には、スタッフ、関係者、マスコミ取材陣でごった返し、ラフィンノーズのチャーミーや町田町蔵といった『宝島』ゆかりの人たちも顔を出す。
そして日が暮れかかったころ、ウィラードが登場。演奏が始まるや、ステージ前の客は熱狂状態でポゴダンスやダイブを繰り返す。聴衆はついに8000人に達し、紀伊國屋書店前から山手線のガードまで、ステージからの音が届くあらゆる場所に人があふれた。
雑誌『宝島』での告知だけでこれだけの人が集まったという事実は、当時の読者との関係性、そして文化的影響力の大きさを如実に物語っている。