「除籍という言葉に不気味なものを感じました」

8月13日、百条委員会にて田久保眞紀市長の証人尋問が行われたが、大きな進展があったとは言い難く、いまだ伊東市政は混乱と停滞が続いている。

学歴詐称疑惑の追及から約2か月、これまで数々の批判を受け続けてきた田久保市長は何を思うのか。これまでの直撃取材では記者の声かけに応じなかった田久保氏が、百条委員会後、ついにその胸中を語った。

――まずは田久保市長の学歴詐称疑惑についてですが、そもそも田久保市長としては東洋大学を卒業していたという認識でしょうか?

「特に問題があるとは思ってなかったです。大学に行ってない時期もありましたがまったく行ってなかったというわけではなかったので、自分の中では何か問題があるという意識は本当になかったんです」

インタビューに応じる田久保市長(撮影/集英社オンライン)
インタビューに応じる田久保市長(撮影/集英社オンライン)
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――問題がないというのは、卒業はしているという認識でいたということでよろしいですか?

「そうです。これまで一度も卒業証明書を取ったことがありませんでしたし、卒業に関して問題はないだろうと思っていました。そういう意味では私の確認不足、認識不足でありますし、本当に申し訳なかったのですが。

選挙公報とかに華麗な職歴や経歴を載せる方もいますけど、私自身、市議選も市長選もやっていますが公報に何年に卒業して、経歴を入れることにこだわっていなかったというか、自分でもPRしたいという思いもなく重要視してなかったので……。

確認不足で最終的に事実と違ってこのような状態になってしまっているので本当に申し訳なかったとしか言いようがありませんが……」

――学歴詐称疑惑が(発覚する)きっかけとなった“第一の怪文書”について当初はどのように思いましたか?

「じょ、除籍?って。この言葉にインパクトがありましたから。中退とか退学という言葉は聞いたことありましたが『除籍』という言葉はあまり聞き慣れない言葉だったので、不気味なものを感じました。

さらに怪文書には※印で(卒業証書の)偽造には注意とまで書かれていて。『これは何だろう』『何かあるのか』『私って除籍って処遇だったのか?』など危機感も感じました」

――その後、ご自身で車で大学に確認しに行ったという経緯でしたね。

「はい。市長就任直後で超過密スケジュールだったこともありましたし、怪文書の存在は6月上旬には知っていましたが、6月28日になってから行きました。

また、巷ではすぐ卒業証明書は取れるという話でしたが、30年以上前で学籍番号もわからず、すぐに取り寄せられる状況ではありませんでした。

窓口に行って『卒業証明書を取らせてください』と言うと、しばらく時間がかかって『卒業証書はお出しできません』という話になり、除籍になっていますと伝えられました」

在籍期間証明書(田久保市長提供)
在籍期間証明書(田久保市長提供)