被災地で語った「お相撲さんの力」
――昭和の流行語になった「巨人、大鵬、卵焼き」の大鵬ですか?
そうです。実は、私は大鵬が嫌いだったんですよ。新潟出身の私は、同郷の豊山という力士が好きだった。
でも大鵬がいる限り、優勝できない。結局、豊山は幕内では一度も優勝できなかった。それほど大鵬は強かったんです。
相撲の復活は、大の里の活躍にかかっているのではないか。そう考えるようになったのは、大の里本人が、こんなことを話していたからです。
能登半島地震直後の24年2月、石川県津幡町出身の大の里は、同郷の遠藤、輝と被災地の避難所を慰問しました。その体験を大の里は、こう話してくれました。
「自分たちが羽織・袴を着て、避難所に入った途端、大勢の方々が泣き出された。プロ野球選手やサッカー選手が行ってもワーッと騒がれるでしょう。
でも、そういう雰囲気にはならないんじゃないか。それが、お相撲さんの力なんだと教えられました」
石川の人たちにとって、いえ、日本人にとって、相撲はほかのスポーツとは一線を画す特別な存在です。
私たちが子どもだった時代は、男の子の遊びと言えば、野球か、相撲。父親とも相撲を取ったし、友だち同士でも相撲を取った。転校生がきたら、まず相撲を取って、友情を育んだ。相撲が身近だったんです。
でも、いまは相撲を取っている子どもは少ないでしょう。10年ほど前、私は中学生の野球チームの監督をやっていたのですが、相撲を取ったことがある子どもがほとんどいなくて驚きました。
町角でキャッチボールをする少年も見かけなくなった。私たちの少年時代はキャッチボールや相撲が日常の風景にとけ込んでいました。
大の里の活躍によって、子どもが相撲に関心を持つようになり、昔のように身近な存在になれば……。大の里は、それだけのスター性を備えた横綱だと感じています。
取材・文/山川徹