大阪桐蔭・藤波との「ダルビッシュ二世」対決
さらに佐々木氏は、入学直後は身体づくりを優先させ、大谷を投手ではなく野手として先に育てた。
そんな大谷だが、1年秋からエースになり、「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれる。
しかし、2年夏の岩手大会直前の練習試合で左足に違和感を覚えた。患部の痛みは肉離れによるものだと思われていたが、甲子園後の検査で骨端線損傷という大きな怪我だったことが判明。帝京戦での大谷は万全な状態ではなかった。
右翼手としてスタメン出場したが、その試合でリリーフ登板し、当時の2年生の最速タイとなる150㎞/hを記録。
しかし、万全な状態でない大谷は帝京打線に捕まるのだ。フォームを見ても高校3年のときと比較すると手投げのような形だったため、怪我をかばっていた可能性もあるだろう。
ただ、打撃面では6回裏に逆方向にフェンス直撃の打球を放つ。このときから打球の飛距離などは群を抜いていたのがわかる。
チームは敗れたものの大谷の規格外のポテンシャルを感じられた試合だったのは間違いない。
しかし、佐々木氏は大谷が無理に投げることを翌年まで封印したのだ。
実際に、センバツ出場がかかった2011年秋の東北大会準決勝では接戦の展開となり、終盤に大谷がマウンドに上がっていれば勝利の可能性は十分にあった。このときも「大谷のゴールはここではない。翌年の夏の勝利のためにも、ここで大谷を壊すわけにはいかないと思いました」という気持ちがあり、将来のことを考え大谷の起用を我慢した。
これは無理して投げてでも勝利を優先する高校野球の状況を考えると、異例のことだった。そして、満を持して大谷が主軸として出場した2012年のセンバツでは、初戦でこの年春夏連覇を果たした大阪桐蔭と対戦。大谷と対戦相手のエース・藤浪晋太郎は互いに「ダルビッシュ二世」と呼ばれており、注目の対戦になった。
最終的に大谷は11三振を奪うも、怪我で実戦のマウンドから半年以上遠ざかった影響もあり、終盤にスタミナ切れが露呈したのだ。四死球も11を記録し、試合終盤に大量失点した。