世界一の野球選手となる源泉

大谷翔平(2011・2012年、花巻東)

いまは世界の舞台でも圧倒的な活躍を見せているが高校時代は順風満帆ではなかった。
大谷が花巻東に入学したのは2010年の春。水沢リトルリーグで全国大会に出場した大谷は、その後、一関シニアでも全国の舞台に立った。
しかし、甲子園では一度も勝利したことがなく、最後の夏に関しては岩手大会で敗退するなどの挫折を味わっている。

メジャーリーグ移籍後の2019年には「僕は甲子園で1回も勝ったことがなかったので、勝ってみたかったというのは今でも思いますね」とコメントをしており、彼のキャリアのなかでも大きい経験だったことがわかる。
そんな大谷だが高校時代があったからこそ、いまの活躍があると言っていいだろう。

花巻東に入学した大谷は、そこで監督の佐々木洋氏と出会う。大谷の記憶に残る佐々木監督の最初の印象は、言葉ではなかった。
「目力です(笑)。監督って、目が、カッとしているじゃないですか。第一印象は目力がすごいなって思いました」とコメントするほどだ。目力もそうだが、顔つきがほかの監督とは違っていたと思われる。

「甲子園で勝ってみたかった」あの大谷翔平が高校時代に味わった挫折…それでも大谷が持っていた世界レベルの超一流野球選手となる条件とは_1
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花巻東の名物といえば、1年生部員たちに作成させる「目標達成シート」だ。ビジネスでも活用されることがある「マンダラチャート」に近いものである。
シートには9×9の合計81個のマス目が描かれている。まず中心にあるマスに自分が達成したい「大きな目標」を記入する。そのマスを取り囲む8つのブロックには、その目標達成に必要な要素を埋める。

大谷の目標達成シートの内容は、2023年のWBC以降各メディアで報じられ、もはや伝説の扱いになった。
当時の大谷は佐々木氏に「楽しいより正しいで行動しなさい」と教えられている。目標設定はもちろん高校入学直後の大谷に対しては、ただ単に練習をするのではなく、「例えば160キロを出すために、とか。逆算して考えないといけない。なぜやるのかを考えないと無意味なトレーニングになる」と言ったようだ。