資本主義に「安楽死」を!
――内田さんはこれまで、資本主義の限界について繰り返し指摘されてきました。そういうお立場から見て、今回バルファキスが「資本主義はもうすでに死んでいる」と診断している点については、どのように感じられましたか。
内田 いや、僕ね、経済のことって本当にわからないんです。財政とか金融とか、おカネが絡んでくる話になるともう全然ダメで(笑)。だから、資本主義が本当に終わっているのかどうか、それを事実として確認することは僕にはできません。でも、「終わるべきだ」とは思っています。
そういう意味では、僕は加速主義者っぽいところがあるのかもしれません(注:加速主義とは、根本的な社会変革を目的に、現在の資本主義システムなどを緩和させるのではなく、逆により一層の推進を求める思想)。要するに、「終わるなら、もう早く終わってくれよ」と思っているわけです。
ただし、加速主義の「資本主義を暴走させて、行き着くところまで行って自然崩壊させよう」というアイディアには同意できません。ハードランディングさせると多くの人に甚大な被害が及ぶ可能性が高い。予想されるリスクがベネフィットよりあまりに大きい場合には、そういうことはあまりしない方がいいよと思います。ごく常識的に。
僕はむしろ、「資本主義には安楽死を」と考えているんです。なるべく穏やかに、静かに死んで頂く。資本主義はその墓地にゆっくりソフトランディングさせるべきだ、と。もう命脈は尽きているんだから、無理やり延命させず、名誉ある退場の仕方を考えてあげる時期に来ているんじゃないでしょうか。
バルファキスも、たぶんそれと同じような感覚を持っていると思うんです。彼も「資本主義には未来がない」という認識をはっきり示していますよね。このまま暴走し続ければ、社会は中世のようなものに逆戻りしてしまう。いや、ことによると中世よりもっと前の時代に向かって歴史を逆走するようなことになりかねない。
トランピズムはまさにそうですよね。民主主義、人権、寛容、多様性、弱者支援、社会的包摂といった近代市民社会的な価値をトランピズムは丸ごと否定する。近代市民社会以前への退行です。人類が過去200年、300年かけて積み上げてきたものを壊そうとしているのだから、これはもう、「中世への退行」と言ってもいいと思います。
価値観だけでなく、統治のあり方もそうですし、経済の仕組みそのものもそうです。利潤よりもレントの獲得を目指す経済システムはまさに封建制です。政治的にも、経済的にも、「封建制」的なものに社会全体が回帰しようとしているように見えます。
そういう意味で、この本のように現状を冷静に診断して、「その先に何があるのか」を考えるというのは僕たち全員に課せられた宿題だと思います。
構成・斎藤哲也