競争に勝っても不安な人
他者との競争に勝つという仕方で優越性を追求する人は、他者との競争に勝てば優越感を持てるでしょうが、競争に勝てたとしてもいつか負けるのではないかと戦々恐々としていなければならず、安閑としていられません。
個人的な優越性を追求する人は、自分の優位が脅かされることを恐れます。優越感は優越していると感じることで、実際に優れていることではありません。他者との競争によってしか得られない優越感は劣等感の裏返しです。
今日、勉強でも仕事でも競争することは当然のことと思われていますが、競争に負けると、劣等感を持つことになり、勝ってもいつまでも勝ち続けることはできないと思うと、緊張した生き方となります。
さて、劣等感のもう一つは、有用な劣等感です。
アドラーは「劣等感から優越感へと流れる精神生活の流れの全体が無意識のうちに起こる」(『人はなぜ神経症になるのか』)という言い方をするのですが、劣等感を人生の課題から逃れる理由にするのではなく、「劣等感から優越感へと流れる」のであれば、劣等感は有用なものであるはずだと説きます。
アドラーは次のように言います。
「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で、努力と成長への正常な刺激である」(『人生の意味の心理学』)
劣等感を持っている人がそのことを病的だと感じることがあるとしても、優越性の追求を病気と見なす人はいないと思うのですが、本人がというより、あまりに優れようとしているのを見た他の人がそう感じるということでしょう。