2024AOC、パリを逃して決意した世界への挑戦
車いすバスケットボールは、パラリンピック競技で最も花形と言われている。世界的にも高い人気を誇り、競技人口もチーム競技の中では断トツに多い。だからこそ、勝ち続けることはそう簡単ではない。さらにパラリンピックの出場枠が男子は12から8と半数に激減し、厳しい時代へと突入した。
そんななか、男子日本代表は東京2020パラリンピック以降、“世界一決定戦”から遠のいた状況が続いている。22年アジアオセアニアチャンピオンシップ(AOC)を新型コロナウイルスの影響により途中棄権したことで、翌年の世界選手権への出場権を獲得することができなかった。そして昨年1月のAOCでは4位に終わり、12大会続いたパラリンピック出場を逃す事態にまで陥った。
その過程で鳥海の気持ちには変化が起こっていた。もともと、将来海外でプレーすることを考えてはいたが、東京パラリンピック後、彼の気持ちは国内に向かうようになっていた。その理由をこう語っていた。
「東京パラリンピックで初めて車いすバスケや僕のプレーを見て、興味を持ってくれた人がたくさんいることが本当にうれしいです。ただ、これを一過性のブームで終わらせてはいけないと思っていて、日本でやるべきことがたくさんあるなと思っています。だから今は、海外でプレーすることは考えていません」
その言葉通り、鳥海は精力的に活動し、なかでも所属する神奈川VANGUARDS(23年度に「パラ神奈川SC」から名称を変更)への思いは並々ならぬものがあった。キャプテンとして、アシスタントコーチとして、チーム強化を推し進め、天皇杯ではコロナ禍後に再開して以降、無傷の3連覇を達成。鳥海自身はそのうち2度、MVPに輝いた。
だが、その一方で日本代表としては不甲斐ない結果が続き、日本のエースの気持ちは再び海外へと向き始めた。24年のAOC後のインタビューで、彼はこう語っている。
「自分たちがパリパラリンピックに出場できないことは、本当にショックでした。世界選手権、パラリンピックと連続で逃し、日本と世界との距離はどんどん開いてしまい、とても厳しい状況にあると感じています。ただ、僕自身は次に向けて気持ちの切り替えは早かったです。最後の(AOCの)3位決定戦が終わった後に自分なりに気持ちを整理して、日本に帰国するフライトの中で気持ちはもう次に向かっていました」
AOC後、鳥海が選び、進んだ先の一つが、海外だったのだ。